バスはゆっくりと動き出し、これから空港に向かうとのことだった。
空港での安全確認が取れましたので、避難場所を空港に移すという。
その頃は地震の被害の大きさもあまりわかっていなくて、
空港に戻るということは、フライト再開なのかもしれない、
夜中になってしまうかもしれないけどレストランで何か食べられるかも、
と、空港に向かう気持ちはかなり明るかった。
が。空港についてバスを迎えてくれたのは、
寝袋と非常食を持った空港職員の方々だった。
ね、寝袋。がーん。
カロリーメートと水に、非常用の缶入りのパン。
ああこれは完全に今日は飛べないんだ、と悟った瞬間だった。
それらの避難民セットも受け取り、
空港内に突如として解放された私ときょう子さんは、
どこに寝場所を確保するのか、最初はかなり迷ってしまった。
あの広大な空港で突然「好きな所に寝ていい」と言われても、途方に暮れてしまう。
一体、寝るのに快適なのはどこなんだろう。。。
快適でありつつも、余震で激しく揺れたときはすぐに逃げられるように
出口からも近くないといけない。でもあまりに出口に近いと気温が下がる。
難しい選択だった。
色々と迷った結果、大画面のTVを見ることができて
出口からもそう遠くなく、大きめの椅子が並んでいるあたりに陣取った。
そこにきょう子さんと荷物を乗せたカートを残して、
私は別の場所に貴重品の入ったバッグと寝袋をもって第二の場所も確保した。
なぜかというと、その階段脇の壁、柱の真横には電源があったからだ。
どうしても、iPhone やパソコンのチャージをする必要があった。
そこに私は自分のワークステーションを確保した。
これで家族やアメリカの友人とも連絡がとれるし、
全くやることのないこれからの時間、PCがあれば時間がつぶせると思った。
そこはお手洗いからも近く、自販機もあった。
私のワークステーションと非常食。
きょう子さんに、私は電源があるのであっちにしばらくいると伝えた。
きょう子さんはこの日、ちょうど携帯電話を持っていなくて
アメリカで待っているお嬢さんからも、
私のメールアドレスに返信が来ることになっていたし
パソコンではニュースやFacebook, Twitter など確認できたので
電源の確保が必要だった。
でもそのワークステーションは床に座ったり寝たりしなければならなくて、
とにかく寒かった。ダウンジャケットを着込んでいても非常に寒かった。
だからきょう子さんは椅子のあたりに残った方が良かったし、
そこにいれば、向かいや隣に座った日本人の女性の方々から
いろんな情報を仕入れてくれたので、とても助かった。
私のワークステーションと、きょう子さんの場所は30mくらい離れていたけど
たまにお互いを見ては、笑顔で手を振りあって
なんとなくお互いに「大丈夫」であることを確認した。
NHKが放送されている大画面とそれを見る人達。
きょう子さんは、周囲から段ボールを分けてもらって、これがかなり役立った。
段ボールというのはこうも優れものなのかというくらい相当に暖かい。
ホームレスの人達が段ボールとブルーシートをよく使っている理由がわかった気がした。
私たちは最初に空港に入った避難民だったので、
あとの人達のことを考えて寝袋も1つしかとらなかったけど
しばらく経ってみると、一人で3つくらい持っている人も多いことに気が付いた。
空港は本当に寒かった。
敷布団として寝袋を使い、その上で寝袋に包まって更にもう一つの寝袋を
枕として使用している人たちを見ると、なんて賢いんだろうと思った。
次回避難するときは、一人3つは最低確保しなければと思った。
とかいいながら、やっぱり日本人なので周りに迷惑をかけちゃいけない、
まずは一人1つ、という気持ちがあって結局1つになってしまう気もしなくもない。。。



