2024.06.20(木)
夫入院3521日目
アン・ボヒョンさんは
梨泰院クラスの悪役で有名になった?
そして初の主演のこの
軍隊ドラマが面白かったし
カッコ良かった〜
カッコ良いと直ぐファンになる婆さん
パク・ヒョンシク
パク・ボゴム
ヨ・ジング
キム・ウビン
に追加です
その
ボヒョンさんが出ていたバラエティ番組での
ソウル大公園動物園のゾウについてです
番組のメインは
飼育員さん120名の昼ご飯を作る事
その後
4頭のゾウ達におやつ
20個のスイカの輪切りをプールに浮かべます
ここで動物園ミニ知識
ゾウのフンはライオンの大好物だそうです
ゾウの消化酵素は
その象の中に
サクラと言う1965年生まれの雌の象がいました
当時ニュースになったのかも知れないけど
私は知りませんでした
何と
21年前に閉園した
宝塚ファミリーランドの動物園から
引き取られたそうです
大阪の動物園といえば
宝塚か天王寺
その宝塚動物園に最後に行ったのは
転勤で大阪を離れる前の40年前かな
ゾウは名前を覚えてるので途中で名前を変えると
混乱するのでサクラのまま
象のIQは人間の3歳児と同じ
50〜60だそうです
サクラの他に
2004年生まれの母ゾウのスゲラ
2016年生まれの子ゾウのヒマン
サクラはこの時57歳
お婆ちゃんなので
1982年生まれのゾウ キマがリーダーです
2017年ヒマンが1歳の頃
こんな事があったそうです
サクラも奥の方でソワソワしています
この4頭の中で血縁があるのはこの母子だけ
ゾウは母性愛も同士愛も強いのだそうです
ちょっと感動🥹
そう言えば
長い間動物園に行ってないなぁ
こんな歳になっても
楽しめて和む動物園
優しい動物の目が好きです
いつかまた行ける時が来たら
行ってみよう
この番組は2022年の収録
残念ながらサクラは
今年2月に59歳(人間にすると90歳)
老衰で亡くなっています
サクラの事
↓
2007年05月25日発行986号
【童話作家キム・ファン(京都市)のこぼれ話〈64〉 サクラを「しあわせな ぞう」に】
今からちょうど4年前の2003年5月20日―。
1頭のゾウが日本から韓国に渡った。ゾウの名前は「サクラ」。1965年に生後7か月半のときにタイから「宝塚ファミリーランド」にやってきたメスのアジアゾウだ。
宝塚ファミリーランドは2003年4月7日、92年の歴史に幕を閉じた。閉園当時、宝塚ファミリーランドの動物園には、93種約600匹の動物が飼育されていた。ホワイトタイガーなど、珍しい動物はすぐに引き受け先が決まり、ほかの動物たちも次々と引き受け先が決まっていったが、サクラを引き受ける施設はなかなか見つからなかった。
ゾウは動物園のスーパースターだ。「ゾウがいない動物園は動物園といえない」といっても過言でないほど、ゾウは動物園になくてはならない存在だ。けれども地上最大の動物はそう簡単に飼えるものではない。高くつくえさ代、広くて頑丈な展示設備、事故が起きると人間にも被害が及ぶ危険な生き物だからしっかりとした調教も必要だ。そんな中、関係者の懸命の努力で、韓国の「ソウル大公園」がサクラを受け入れることになった。
しかし在日の僕は、「サクラ」という名前が気になって仕方なかった。日本の象徴であることから、過去には「桜伐採運動」もあったからだ。果たして日本からいったゾウが韓国で愛されるのだろうか?と、とても心配だったのだ。
サクラを取材している過程で驚くべき史実も知った。サクラ以前に、日本から韓国へと渡ったゾウがいたのである。最初に渡ったのは足利幕府の時代。1408年に渡来した日本初のゾウは、「八万大蔵経」と交換されて朝鮮へ渡っていた。が、人を殺めて「島送り」となり、朝鮮各地を転々とさせられたあげく、波乱に満ちた生涯を終えた。
2番目に渡ったゾウは日本の植民地時代。敵の空襲に備えるとして旧日本軍の命令で殺された。絵本『かわいそうな ぞう』の悲劇は、海の向こうの朝鮮でも行なわれていたのだ。そしてサクラが3番目のゾウとして韓国へ渡った。よく「歴史は繰り返される」というではないか!
果たして韓国に渡ったサクラは……。
僕は数年に渡って調べ上げたことを一冊の児童書にし、『サクラ―日本から韓国へと渡ったゾウたちの物語―』を学研から出版した。幸運にもこの物語は、日本児童文学者協会が主催する「第一回子どものための感動ノンフィクション大賞」の最優秀作品を受賞した。韓国での出版も決まった。
この本が日韓の子どもたちを結ぶ本になるよう願う。何よりもサクラが日韓をつなぐ「しあわせな ぞう」になってくれることを心より願っている。