2019.06.30(日)
入院1703日目


3月末、かりんを亡くし
               病気と寿命だから仕方がない
4月末、父が調子が悪くなり
                   今は奇跡的に戻りました
5月末、母が思ったより病気が重く
6月末、しばらく安定していた夫の具合が
             悪くなりました
                    乗り越えてくれると信じています

かりん、両親の事は年齢的な事もあるので
受け入れ、それなりに対応していくしか
ない、と思っています

それで、夫の事をちょっと考えてしまい
吐き出したくなりました


夫の事・・・

朝は人参ジュース、炭水化物を控え
野菜中心の食事
ジムに通い、タバコも48歳の時スパッと
辞めました
なのに
夫は2014年10月末
急性心筋梗塞で突然倒れ
それが元で低酸素脳症、遷延性意識障害になり
一級身体障害者  です
両上肢機能全廃、両下肢機能全廃

4ヶ月後に障害年金の受給が始まりました

入院した2ヶ月後の12月中旬、
障害年金の事を聞きに行きましたが
1年半後に出直してと年金事務所の
50代ぐらいの男性に門前払いを受け
それまで夫は生きているのだろうか?
と不安な気持ちで帰りました
その後、
翌年1月末には今の病院へ転院しました
一般障害者病棟です


市の身体障害者手帳申請の為、診断書を
初めの急性期の病院で作成して貰いました
障害固定日(認定日)は転院日1月26日
丁度倒れて3ヶ月後です

この時点で年金の事はまだお預け

この年の3月16日の新聞記事に救われました

翌日、すぐに診断書を持って
年金事務所に行くと
あっさり受理されました  びっくり
同じ男性です
あーたさぁ、どー言う事?ムキー

1.2月に遡り、支給されると言われたけど
その夏に届いた証書は4月からになっていました

聞くと、一般的には脳の障害は半年待たないと
わからないと、の事、
出せと言われた医師の診断書を無視して
勝手に一般的に処理されてるのは
納得いかないと抗議すると
そんなに言うなら不服申し立てを
して下さい

あー、しますよ
で、近畿厚生局へ不服申し立ての申請を
したところ
2月からの支給になったのです
ほーらね
でも、年金事務所は謝りません

忙しいけど、相手の立場になって
        これ、身内なら一生懸命するでしょう?
普通の年金と違って障害って名の付くもの
家族がその手続きするって事は
どんな思いでいるのか、来てるのか
って、少しは感じてちょーだいな

事務的にしか、それに加えて少しの
知識をも絞り出せない
        元々、知らなかったのかも知れないが
そういう仕事の仕方、悲しいです

当時は意識が戻らない
戻っても意思疎通が出来ない
家には帰れない、と言われました
脳のCT画像を見せられて実感しました
涙も出ず・・・

次第に目を開けるようになりました

この時点で意識が戻った、状態です

でも、こちらの言う事に対しては無反応
目も合わせられません
どういうように見えているのか謎
はっきりなのかぼやけているのか
大きな音にはビクッと反応しますが
私の声を聞き分けているかは謎
音楽もわかっているのか謎
指が動き、顔が動き、手を上げたり
くしゃみ、あくびもします
来たよー、と肩をトントンとすると
目を開けるか、髭を剃る時に起きます

触られること
爪切り、たん吸引、耳掃除、
目を拭くこと、歯磨きなどには
反応します
嫌そうな表情ですあせる

静かに寝ている可愛いおっちゃんです
気管切開をしているので、声が
出ないのですが、
痰吸引のチューブを入れて
器官を少し塞ぐからなのか
咳をして、オェーと言う
たまーに声らしきものを聞いた時
懐かしくなります
本人は苦しいのでしょうが・・・

いわゆる寝たきり
植物状態です
しかし、意識は戻っている状態です
起きている時、寝ている時の区別がつきます
リハビリは、はじめの半年、ベッド上で
してもらっていました
今はアロママッサージ程度です

今は
安定していた時期から
少し具合が悪く、抗生剤を投与しています
吐いたり、下痢がひどくなったり
肝炎起こしたりと
色々な事があります

なので、ずっと入院なのです
入院出来ている事が有難い
感謝、感謝です


何もわかっていない、と思っていたけれど
実はわかっている、事がわかったので
それは先日書きました

先が見えない、という夫の状態に
わかってくれている事が判明してからは
私の気持ちを強く維持できる
支えとなっています

毎日、会いに行きたいけれど
行けない
これもわかってくれてる、と思っています

ゴメンね〜ショボーン

だからと言って、泣いて過ごしている事は
ありません
大丈夫です👌

最後まで読んで頂き有難うございました