こんな年明けは初めてでした。
午前11時に神戸を出発し、実家に着いたのは晩の11時半
お腹がすいていたので
旦那様のお母さんが用意してくれていた年越しそば(出雲そば)を食べながら年を越しました
1時半ごろ就寝し、旦那様は朝の5時頃電話の音で目が覚め、実家の家業である新聞のお手伝い。8時ごろはお酒の配達。
私が9時ごろ居間に行くころには皆がしゃんとして、バタバタ。
朝ご飯を掻き込みながら、話しを聞くと、米子の渋滞で配る元日の朝刊がまだ届いていない。
通常、朝の1時頃新聞がついて配るので、皆は1時からずっと新聞が着くのを待っていたそう。
結局、皆がソワソワしながら親戚の方々を家にお招きすることになり、その間も『新聞が届いてない』とずっと新聞屋の電話、商店の電話、有線が代わる代わる鳴り、皆がお詫びを申し上げる羽目になった。
結局のところ、私達が寝る10時頃もまだ新聞は届いておらず、昨日から寝ていない家族は2日の休刊日に新聞を配ることになりそう。
算段が解らず、何にもお手伝い出来ないのが、もどかしい、そんな年明けでした
午前11時に神戸を出発し、実家に着いたのは晩の11時半
お腹がすいていたので
旦那様のお母さんが用意してくれていた年越しそば(出雲そば)を食べながら年を越しました
1時半ごろ就寝し、旦那様は朝の5時頃電話の音で目が覚め、実家の家業である新聞のお手伝い。8時ごろはお酒の配達。
私が9時ごろ居間に行くころには皆がしゃんとして、バタバタ。
朝ご飯を掻き込みながら、話しを聞くと、米子の渋滞で配る元日の朝刊がまだ届いていない。
通常、朝の1時頃新聞がついて配るので、皆は1時からずっと新聞が着くのを待っていたそう。
結局、皆がソワソワしながら親戚の方々を家にお招きすることになり、その間も『新聞が届いてない』とずっと新聞屋の電話、商店の電話、有線が代わる代わる鳴り、皆がお詫びを申し上げる羽目になった。
結局のところ、私達が寝る10時頃もまだ新聞は届いておらず、昨日から寝ていない家族は2日の休刊日に新聞を配ることになりそう。
算段が解らず、何にもお手伝い出来ないのが、もどかしい、そんな年明けでした
