サンアイリスの福女こと平塚さとみです。

昨夜突然届いた訃報。

北の湖理事長がお亡くなりになったと。

私は、近しい人にはよく話すことがある。

今から40年以上前のこと。

父が、三保ヶ関後援会長と仲が良く、
私は妹とよく、相撲観戦に連れて行かれた。

相撲が楽しい!と思ったことはなかったけれど、
升席で食べる焼き鳥の美味しいことだけは
今でも覚えている。

取り組み中でも、
父と一緒に、支度部屋に入ったことも数知れず。

私は多分小学校低学年くらいだったと思う。

真っ裸で、まわしを付けてもらっている力士や
取り組みが終わって、風呂に入る力士などを普通に見ていた。
風呂の湯が、ザーーーーッと流れるのを目の前で見ていた記憶があるので、昔の国技館の支度部屋は、見えるところに風呂があったのか?

そんな時代、三保ヶ関部屋には、北の湖が最強の横綱だった。輪島がちょっとヒーロー的な扱われ方だったのに対し、北の湖は、悪者的なマスコミの書かれ方だった。その位強かった。
そして、笑わなかった。

三保ヶ関部屋は、毎場所のように、優勝祝勝会があり、私も何度か参加していた。
あの力士を真ん中に大きな杯や鯛などと写る集合写真を反対側から見ていた記憶もあるし、一緒に写ったような記憶もある。

その時、三保ヶ関部屋には、
増位山という、イケメン力士がいて、
女性にも大人気であった。歌が上手くイケメンなので、増位山の周りには人が溢れていた。

増位山にサインをもらって、喜んでいると、
いきなりある力士がこちらに向かって突進してきた。
そして、通りざまに、「あっごめん!」と言いながら、大きなお腹で、

「ボンッ!」と、私を押した。

わぁ~!
私は、よろめいた。

誰??と思って顔を見ると、

ニヤッとイタズラっ子の顔をした
北の湖だった!

私はダブルで驚いた。

優勝力士がこんな端っこの方で遊んでる小学生のところまで来て、ふざけるなんて!!

そして、ニヤッと笑った顔は、今まで見たことのない北の湖だった。。

増位山が、何やってるんだよぉー!笑と、
私をかばってくれたが、
北の湖は、余程それが面白かったのか、
私はそれから何度も、北の湖のお腹でボーン!を
食らうことになる。。

あれから、私は、ひそかに北の湖を応援していた。

理事長を再任したのも、
彼には冷静に判断する力と、茶目っ気がある人間力があったからではないか?などと
あのボーン!を思い出しながら、思っていた。

大人になってから
お会いすることはなかったが、

私が相撲好きになり、
長男を産んだ病院でも、イヤホンで相撲中継を
聞いていたのは、あの思い出があるからだ。

その当時は若・貴時代。
私は息子に貴という字をつけたのも、
もしかしたら、あのボーン!があったからか。。

ニュースを見て、
私と10歳しか離れてなかったことに驚いた。
あの当時、10代後半だったのね。

私と北の湖との思い出。
今でも、あのお腹で飛ばされた感触を覚えている。(今では自分のお腹で出来るけれどー笑)

心よりご冥福をお祈りいたします。