俺たちは偉いんだ、これだけ難しいことをやっているんだ。一般人にはわからないだろう。レベルがちがうんだよ」

高校では、理数系の先生にこのタイプが多いように思えます。塾生たちが言っています。高校では物理ではテストの平均点が1桁(100点満点)、数学では15点程度の試験が当たり前とのこと。私の現役時代もそうでした。物理の平均点が6点、数学が13点だっと記憶しています。そして、教師は「もっとしっかり勉強しろ」と怒鳴るばかり。おそらく問題を作成した教師ですら解答解説なしでは解けない問題でしょう。これでは理数系に進む生徒は激減するわけです。


また、高校数学の参考書を見て思うのですが、問題の解説を見ても、なかなか理解できないものになっています。つまり、途中経過を省いてあるのです。その省かれた途中経過こそが理解できるかどうかの鍵を握っている場合が非常に多いのです。

「途中経過の分からない人は、数学は無理ですよ」とでも言っているように思えます。



文系の学者にもこのタイプは多いと思います。わざわざ難解な表現を用いて本を書いているように思えてなりません。

たとえば「普遍的な考え」というとわかりにくいですが、「一般的な考え」というとわかりやすいですね。このようにわざと普段は使わない難解な言葉を使うことで権威を持たせているのです。よく使う言葉に置き換えるといいと思いますね。

法律や憲法などはまさにそうですよね。ならば、憲法や法律をやさしく訳した本がもっと出版されて良いはずです。確かに本屋に行けば、少しは出ています。しかし、それでもまだまだ読んでも理解するには程遠い内容です。

実は今から10年以上前、憲法を小学生高学年でも理解できるくらいの文にすべて訳したのですが、企画になりませんでした。その理由は次の通りでした。

「訳したというが、法律の解釈の問題がある。まして、あなたは弁護士でも法学博士でもない。法律の素人だ。この手の本は法律の専門家でなければ出版できないですね」

まさに権威主義です。わざと難しくしておいて、自分たちの利益を守ろうとする考え方が根底にあることは間違いないようです。かといって、いざとなったら、誰にでもわかるように説明できるかというと、できない人ばかりだと思います。

ですから、権威主義者の能力は大したことはないと思いますし、底は浅いと思います。の人の中身を見ずに「先生、先生」と肩書きだけでまつりあげることが一番の問題です