今年は蜂が多い。

手水鉢のメダカの餌やりに近づくと、

水を求めて蜂がうようよ。


蜂の多い年は台風が来ないとの言い伝えがあるが、

今年の台風のコースは変だ。

例年は西の方への上陸から東へ移って行くが、

今年は東北や関東方面へ行き、関西や東海地方は

パスしている。


おかげで猛暑&カラカラ天気が続いていて、

庭の苔は真っ茶の枯れ枯れだ。



まだまだカラカラ天気が続くようで、ミニ菜園も

枯れ枯れだ。


採れた小玉スイカ、ミニトマトやキュウリは

息子一家やタイ旅行から直行で来て 娘宅へ帰って行った孫娘にあつらえた。



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株式が乱高下した。


岸田政権の資産倍増計画で株の購入を勧められ、

ボーナスを新NISAでつぎ込んで、青くなった人も

多いだろう。


私は株はやらない。


学生時代に頼まれて、当時ストライキした船会社の

株式課でアルバイトをしたことがある。

ストライキ中でも株の取引はある。むしろ扱い高は

増加する。

今は名義変更などは証券会社等に委託しているが、

当時は自社で行っていた。

管理職の課長とアルバイト20人程だけでこなした。

仕事は電車のなくなる深夜に及び、タクシー券を渡されて下宿に帰った。

やがてストライキは解除され社員が戻ったが、私は継続してアルバイトを頼まれた。


私は新聞の株式欄を見るようになった。

株価が変動すると私は忙しくなる。今日は忙しいか暇かがわかるようになった。

当時の会社は無配だった。だから株の購入は投機目的だった。

やがて私はあることに気がついた。

いわゆる玄人筋と云われる悪名高い筋の買いが入ると、

二三日で株価が上がり、○○花子さんとかの素人の買いが入る。その時は玄人筋は売り抜けていた。

つまり株価は仕手筋に操作されていて、素人は利用されるだけだと知った。


商社に就職し、ニューヨーク支社に赴任して、マンハッタンで働くようになり、遥かに大掛かりな株価の操作を知った。

今はIT産業が盛んだが、当時は濃厚長大産業が盛んで、開拓時代に入植したWASPと呼ばれる上流階級が支配していた。しかしウオール街に代表される金融はユダヤ人が握っていた。アメリカ人でさえ、あれはアメリカではない、と云うほど嫌われて 悪戸かった。


日本がせっせと働いて、小金を貯めると、資金力に物を言わせ、かっさらっていき、日本の金融機関はいつも大損を出していた。

敗戦国の日本は仕方がないと思っていた。

それでも日本人はコツコツ働くしかないと私は思っていた。


私は残念ながら日本の金融機関の運用は駄目だと思っていて、株式投資はやらないと決めた。


今回の暴落も仕込まれたのでは? 誰がかっさらっていった?



では、また