4月3日に開花した我が家の桜


春の嵐に晒されて 早くも桜吹雪


新芽も


 ミニ菜園の餅菜も菜花が咲いた


ブロッコリーも花芽が出てきて慌てて採った


ササミと炒めて今日のランチとなった


赤飯のように見えるのは西表島の黒米の混ぜご飯

3月には今年も土筆を採り


ナポリタンに混ぜて食べた


今日も近所の公園でトリム運動をした
公園の桜も花吹雪


八重桜も咲き始めた


椿と桜のコラボ


最近は地震が多い
築70年の我が家も倒壊が心配で、バリアフリーと兼ねて補強をしている









中日ドラゴンズが珍しく首位に立った。
8年振りだそう。但しその年も結果は最下位。
一日天下かと思ったらDeNAに連勝し、免れた。
カミさんは大喜び、今日は試合がないので三日天下も免れた。

藤井八冠と豊島九段の名人戦も始まった。
どちらも愛知出身で複雑、豊島九段の方が隣市なので親近感がある。

朝ドラも女性差別と闘う裁判官が主人公で興味深い。
婦人運動家で有名な市川房江も近くの出身で、伯母も師事していて、戦後婦人参政権が認められ、初の女性市会議員になった。親父の背広を着て演壇に立ち、親父も選挙運動の弁士をしていた。

その為か繊維業界には珍しく福利厚生に力を入れていた。小さい会社なのに求人もしてないのに国立の名古屋大学の新卒が入社したり、取引先の銀行の若手行員が転職したいと来たり、聞くと仕事柄御社の内容は調べたと、これは丁重に断った。売上数十億の会社の専務もトラバーユしてきて驚いたこともある。紡績の10級は千人を束ねる工場長クラス、私の社長を譲らねばと思ったら、一兵卒で良いと言う、新規事業を任せた。

先頃は親父のものを断捨離したが、九州などからの集団就職してきた両親を京都奈良など観光に招待したお礼の手紙もたくさんあった。
独身者は寮生活だが、結婚が決まると社宅を新築して住まわせた。その為 売り地があると買っていた。
大抵は数年で持ち家を買い出て行ったので、その後は他人に貸していた。その住人も高齢者となり、最近は続々と特養などに移って行き、空き家になっていく。
築50年を経ていてボロボロで、解体するかリホームするか悩ましい。
140坪の土地に4軒の貸家があり、全部空いたので、不動産屋に販売を依頼したら、問題があると扱いを断られた。法務局で色々調べたら、なんと11軒も家屋が登記されていた。現実にはない家なので、取消せないかと尋ねたが法務局で勝手には出来ないとのこと、このままでは解体も出来ないとのことで、過去の地主の家の登記が残っているのかと、明治に遡って土地所有者を調べた。土地所有者が転々としていて、其れらしい姓名の人の子孫を追及したが遠方に越した人もあり、困難を極めている。2軒は固定資産税を払って実際は他の場所に家があり、番地違いだが、取消せないそうだ。
私の生きている内に解決しろとカミさんが宣う。

息子にあちこちの土地の在りかを教えておこうと、日時を打ち合わせていても、忘れていたと来ず、関心がない様子、未だ未だ私に長生きしろとの気遣いで、関心がない素振りをしているのは分かるが、私と同年輩の知人友人がバタバタと突然に亡くなるので焦る。

取り敢えず、他の一軒家のリホームを今のリホームが終わったらするように大工さんに依頼した。

農水省の指令で我が市でも耕作依頼地の集約をするとのこと、15年契約、これも私は生きていない。息子に連絡はしておいた。この農地も息子は知らない。


出費が嵩む。聖徳太子をリンカーンに替えておいて助かった。

今日は新しい班長が、ゴミの集積所が片寄っているので変えたいと、ついては私の土地に設置したいとのこと、熱心なことで了解した。

シーツを洗濯しようと布団を二階の欄干に干したら、風で屋根に落ちていた。おっかなびっくり拾いに屋根に降りた。

暇そうで、何かと忙しい。

草取りにも励んでいる。何という名前かしらないが、小さい草だが、触ると種が矢のように飛んで来る。
目眩ましのようで危ない。これも子孫繁栄の知恵だろう



徒然なるままに

では、また