風の電話ボックス 最後の接吻 | 過ぎ去れば淡雪のごとし

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  風の電話ボックス  最後の接吻

 

   家族を亡くされた方が、「風の電話ボックス」と題する投稿を新聞にされていた。夫を亡くしたばかりの私はネットで調べてみた。

 

  天国につながる電話ボックスとして岩手県の三陸海岸に私設で設置されている。。黒電話があり、線はつながっていません。内には電話の横に次のように書かれています。。

 

 「心で話します。静かに目を閉じ耳を澄ましてください。風の音が また波浪の音が 或いは小鳥のさえずりが 聞こえたなら、あなたの想いを伝えてください」

 

 嗚呼!こんな電話があるのなら、今一度、夫の声が聴きたい。

 

 あの朝、いつもの様に庭に水を撒き、朝の仕事をこなしていた私。いつもの時間に起きてこない夫を覗きにいって、ベッドから落ちて床にうつ伏せの姿に、私は大声を出しました。

 

  出勤直前だった娘が、スーツ姿で飛び込んできました。私は咄嗟にマウス ツウ マウスの人工呼吸を始めました。夫の唇はまだ温く、足を触るとぬくもりがある。

 娘は救急車を呼び、すぐに両手を重ねて父の胸に置き、,私の動作に合わせて人工呼吸をしました。

 必死で「お父さん!」と呼びながら。

 

 突然黄泉路を翔た日の二週間前ごろから、「お母さん僕もう長くないと思う」と笑いながら言ったのを冗談だと受け止めたのです。計画している故郷に帰る旅行の準備をしていた最中だったからです。あの時、もっと聞いてあげれば良かったと悔やまれてなりません。何が言いたかったのか。

 

 風の電話ボックスがあれば続きを聞きたい!

 

 このとき小学五年生だった孫は、相当のショックを受けたはずです。おんぶに抱っこ、絵本の読み聞かせ、添い寝まで。育ててもらったお祖父ちゃんです。

 彼はこう言いました。

 「死ぬことは、もう一つの始まりだと本で読んだよ。あの世は死んだ人がまた地上に生まれかわるまで居るところで、お祖父ちゃんはきっとそこに居る」と。

 

 私はもう悔やむまい!と何度も自分に言い聞かせます。でも、新聞に「最後の接吻」と題した女性の投稿が出たりすると、またあの日が再燃します。

 レオナルド ダビンチの「最後の晩餐」は有名ですが、「最後の接吻」という文言は私の胸を苛みます。

 

 若いころ以後、なかった”接吻”。何十年も経て、あの時の悲愴な マウス ツウ マウス が、今生の「別れの接吻」になろうとは、夫は雲の上でどう思っているだろう。

 叶うなら聞いてみたい!

 

 この文章を書いてから七年が過ぎました。足腰が弱くなった私は、岩手県にある「風の電話ボックス」までは、もう行けそうにありません。

 

 そうだ!我が家の小さい庭に、大きくなった金木犀が毎年黄金の花を咲かせています。そこに

 

 「風の電話ボックス」を設置しよう!

 大学生になった孫と一緒に。

 

 夫の声が聞こえてきそうな!

 

 「残された者は、明るく生きよ!」