こんにちは


実は7月終わりごろから喉の痛みから発熱をし、
2~3日熱が続いたので
これはマズイ…
と思いPCR検査もしてきました
結果は陰性
いつ、どこで、感染してもおかしくないし
今回のように風邪のような症状でも、もしかして…と不安がよぎります
なかなか検査してもらえないというニュースもありましたが、私の住む横浜では検査するまで、わりとすんなりと行きました。
そんなこんなで
しばらく数日間、勤務の方のお仕事はお休みをいただきました
少し空っぽ、余白をつくることって本当に大事だなぁと感じる毎日です
せっかくのこの時間なにかできないかな!と思ったのですが、また無理をして空回りしそうなので
生い立ちと今までのことを振り返ってみる時間にしてみようと⌛
1987年1月
横浜で長女として生まれました
生まれた時には父方の祖母、両親、兄と猫との暮らし
両親は共働きで、私が1歳のころから、ほぼ祖母に育ててもらいました
幼少から小学生まで
運動が得意でもなく、勉強ができないわけでもなく
なにか飛び抜けてできる特技があるわけでもなく
中の中 普通の子どもでした
一つだけ、祖母に誉められたことは
「字が上手だね」と言われたことくらい
小学校は楽しくて それなりにお友達同士の(女子特有のグループ派閥)トラブルもあったりしたけど
友だちも、先生も大好きでした
中学に入り一転
制服を着て登校が、まず嫌だった
なにかしらの部活に入らないといけないんだなぁーて何も考えず、小学生からバスケをやっていたのでバスケ部にはいりました
が
先生の暴力と今でいう体罰で衝撃を受けてしまい…
その頃から授業で座ってることすら苦痛になり…
ある日、学校から帰ってきたら過呼吸で呼吸ができなくなり
倒れてしまいました
その日を境に不登校児になったのです。
担任の先生が、ピンポーンと毎週のように
夕方訪ねてきたのを覚えています
母に精神科や、なんちゃらセラピーにも連れて行かされたのを覚えてますw
学校でのプリントやノートはクラスのお友だちがもってきてくれました。
そしてなにか、大きなきっかけがあったわけでもなく、3ヶ月~4ヶ月ほど不登校になってから
ふと 学校行くかな…と。
保健室登校からでしたよ、最初のうちは。
中学生だし、自分の感情を、語源化することなんてできないから
とにかく充電するまでは時間がかかったけれど
普通に中学2年からは行きはじめました。
中学3年あたりから、学校、先生への不満が
むくむくと沸きだして、生意気だったわたしは
先生に
「おまえが、とこまで落ちぶれるか見ててやる」
と言われたこともありました。
淋しさを埋めたくて、恋愛に走ったり
自分がさみしいから、相手も淋しさを埋めるような悲しい結末でお互いが鏡なんですよね
高校に入り、溜めていたエネルギーが爆発したのか…今度は家にいっさい帰って来ない、
落ちぶれ高校生のできあがりです
w
とにかく今さえ楽しければいい、16歳です
好奇心と淋しさの塊で
高校3年間、年齢をごまかしては、
夜な夜な遊びつくしました
自分を必要としてくれる人なんていない
どこにいても居場所はない
とりあえず楽しいことして淋しさを誤魔化そう
そんな毎日でしたね。
危険な場所へものこのこ行き、痛い目にもたくさん合いました
学校で授業を受けていた記憶はほぼなく
どうして卒業までできたのかと今でも不思議です
ルーズソックス時代です
家に帰らない日もたくさんあって。
両親や友人にさえ、見放されるほどでした
でもこの落ちぶれ高校生、という経験がなければ
人に笑われ、見下された経験があって
底辺まで落ちなければ
私は人の大切さも、自分を大切にすることも
なんにも分からないお嬢ちゃんだったと思います
そんな生活をして、いよいよ高校3年の受験📖📝
一応?進学校だったのでみんな大学か、専門か、短大かって感じでした
私は大学のだ、の字も考えてはおらず
美容の専門学校に行きたかったので、
都内の新しくできた大きい美容専門学校の受験を受けました
結果 不合格
当たり前の結果です。因果応報です
そこで…
捨てる神あれば拾う神あり
友人の誘いで、エステの会社に就職をします。
18歳。エステ人生の始まりはここからはじまりました
しかしこのころから、越えてはいけない一線を越えてしまうような
危険な出会いに溢れていて
一生消さないつもりでいる、刺青もこの頃いれました
就職したエステの会社は
主に化粧品販売会社で、ネットワークビジネスを主に、フェイシャルの技術は、ほぼサービスに近いお値段で行うようなところでした。
メイクの大会があったり
コンベンションでは
バリ島、ゴールドコースト、カナダへ毎年無償で連れてってもらいました(こう書いてると…なんでここまで、よくしてもらったのか謎)
この会社で、商売の基本を学ばせていただきました
今思うと
あの多感な時期に机に向かって、勉強なんてしなくてよかった、専門学校に行っていたら違った人生だったかもと思います。
続きは そのうちまた書きます
これ読んでくれる人いるのかな(笑)
読んでくれてありがとうございます



