思うままに書く。。。(多摩全生園訪問) | 音楽座ミュージカル 河村真希オフィシャルブログ「向日葵Days」Powered by Ameba

思うままに書く。。。(多摩全生園訪問)

思うままに長々と書きます。

ただの日記ですので、気が向いた方だけお読みいただければ充分です。

(意味が不明ですのでお気をつけ下さい。)







9月17日(木) 多摩全生園に行った。。。


多摩全生園は、「泣かないで」という作品をするうえで、絶対に避けて通れない「ハンセン病」の資料館がある。


全国にある治療所の中で、3番目に大きな園であるということだった。



その日は、お昼に集合して、


元ハンセン病患者さんであり、かつては全生園の自治会長さんまでされていたという、

森元美代治さんにお話を聞くことが出来ました。


森元さんは、とても明るくユーモアも交えながら、しかし確実に私の心に響くように、お話をしてくれました。


ハンセン病の歴史。

ハンセン病患者さんたちの苦労。

差別。

心情。。。etc


そして、それは決して今、この現代において過去の話ではないということ。


子供の頃、私の住んでいた市では、同和教育の時間が結構ちゃんとありました。

「七つの人形の物語」のラマの話をしているゼミの時に、各都道府県や市町村でだいぶん取り組み方が違う。という事が判明していましたが、「ハンセン病」のことは聞いた記憶がありませんでした。


今回、この機会に「多摩全生園」に行き、実はとても不思議な気持ちになりました。


カンパニーメンバーのブログなどに、チラッとその風景がアップされているかと思いますが、とても緑が多く公園や芝生の中に立ち並ぶ、家々。。。


とても静かで、、、


少し空気がりんとしている。。。


まぁ、感じ方の問題なのかもしれませんが、、、


私にはそう感じました。


全生園の片隅にある「展望卿」、かつて故郷が恋しくなった時、家族に会いたくて仕方なくなった時、みなそこに登って、自分の故郷を眺めていたのだといいます。


家族と引き離されて、世間と切り離されて暮らす。。。その中の多くは子供だったともおっしゃっていました。


自分の人生を。。。もう終わったものだと言い聞かせたり。。。

後遺症で盲目になった患者さんが、「俺は3回死ぬんだ。1度目はハンセン病になった時、2度目は目が見えなくなったとき、3度目は本当に死ぬ時だ」とおっしゃったそうです。


生きているのに自分は死んだ。と思う瞬間って。。。こんなに胸がきゅんとなるのは久しぶりでした。


生きていく中で、色んな事があるけれど、時にはあーもうダメだ!!って思うことはあるけど、これって全然ダメじゃないな。って思いました。


私の中にある、何かが確実に動き出した。


それが何だかまだ分らないけど。。。


もう少し、違う生き方がある気がする。


「世界がみんな平和になれば良いと思う。」「人の為に出来ることがないか。」とか言うと笑われる事が多い。


実際、そういう風にしたいと思っても出来るものでもないこともわかってる。


でも、、、


「泣かないで」の森田ミツのモデルになっている井深八重さんは、日本のナイチンゲールのような人だと言われていた。。。


マザーテレサもまた。。。アンネ・フランクは「私は世界と人類の為に働きます」と言った。。。


自分は、、、


「泣かないで」は私が音楽座ミュージカル/Rカンパニーの作品と初めて出会った作品で、本当に人生の転機になった作品です。Rカンパニーを知り、最高級の音楽に触れ、迫力のダンスを観、そこに生きる森田ミツという女性と出会った。。。


そして、今、この作品に自らが関わり、また何かが動き始める、そんな予感がします。


何のことかよく分からないですが、とにかく「全生園」に行って良かった。と思います。

今回は、ガイドをしてもらいお話を聞かせていただいたので、近々もう一度、この気持ちがなんなのか確かめに1人で資料館に行ってこようと思います。


資料館は丸1日いても足りないくらい、色んなものが詰っていました☆


音楽座ミュージカル「泣かないで」は決してハンセン病が何たるか。それによってどうのこうの。という作品ではありません。

でも「生きる」ってどういうことか。

そして、目に見えない何かを感じとっていただけると思います!!!


思うままに長々と書いてしまいました。。。

意味不明で失礼しました。


2日間の休みを経て(まぁ、事務所にはいたのですが・・・)明日からまた頑張って生きたいと思いますラブラブ



真希