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福島ひまわり里親プロジェクト ブログ

【For you For japan】の理念の基 三つの柱でプロジェクトを運営させていただいています。
●福祉雇用 ●福島県への観光[教育旅行] ●防災教育 

こんにちは
福島ひまわり里親プロジェクト事務局です。

教育小冊子(2014年発行)より、チームふくしま会長 鈴木厚志の
お話をご紹介いたします。

震災の直後は、だれもが放射能が怖かった時期でした。友人の中には、炊き出しをしたり、避難したりという人も出ました。そんな中で「自分も何かしたい。何かしなければ」という思いがわいてきました。その時に、今の「チームふくしま」メンバーや先輩方から声を掛けられ、活動するきっかけをもらいました。僕一人では、何もできなかったでしょうけれども、仲間が声を掛けてくれたことが大きなきっかけになりました。

私は飲食店を経営しているのですが、震災の時も店を開け続けました。除染作業をしているお客さんが「俺らが除染をするから、あんたらはおいしい食事を出し続けて」といってくれたことや、浜通りから避難されてきたご家族が「二日ぶりに温かいご飯を食べました」「おいしかったよ」と泣きながら言ってくれたことが、今も忘れられません。震災直後に仕事をする従業員の前向きな姿勢もうれしかったですし、飲食人としての仕事の使命も感じました。

福島ひまわり里親プロジェクトへの参加を決め、自分から積極的に関わろうと思った大きなきっかけは、特別なことや大それた目標があったからではありません。震災の前から一緒に活動してきた仲間、日頃からつながってきた人から誘われて、何か一緒にやりたいと思ったからです。身近な人との信頼関係を大切にしたいとも思いました。

プロジェクトを通じて、たくさんのことを学んでいます。

一つには、福島県や全国のたくさんの里親さんへの感謝です。「福島のために」と、汗をかいて種をまき、愛情を持ってひまわりを育て、種を福島に送ってくれています。里親になった子どもたちからのメッセージもたくさん読ませていただきました。純粋で、素直な気持ちがこもった手書きのメッセージを読んでいるだけで、優しい気持ちや思いやりが伝わってきます。僕たちが学ばせてもらっているのです。

プロジェクトを進めるうえでは、身近な人が一番大事な人だということ、小さなことをコツコツやることの大切さを改めて実感しました。そうした体験を通じて、自分がやっていることは大事なことなのだなと、誇りややりがいを感じました。

震災から3年。今年も、全国の里親さんが参加して「ひまわり甲子園」が福島市で開かれました。本プロジェクト、そして参加してくれている里親さんの学校などが次々に表彰を受け、社会的にも評価されてきました。このプロジェクトの力、魅力を感じます。そして、このプロジェクトに取り組む子どもたちが大人になったとき、本当に素晴らしい仕事をしてくれるだろうと楽しみです。

ひまわりの種をまいて育てるということは自分を育てるということ。参加してくれた子どもたちには、「一生懸命取り組む」ということに挑戦してもらいたいと思います。何事も一生懸命やることはで、新しい、知らなかった自分に出会うということでもありますから。

私の夢は、日本中にひまわりが咲いていることです。ひまわりを見た人が「あれは自分が育てたひまわり」と言って明るく元気になることです。今の福島は、子どもたちの人数が激減しています。震災が起きたときに10歳以下だった子どもは、3年前より4000人、100クラスも減っていると、最近、福島県内の経営者の方に伺いました。将来、福島県内で労働力不足が起きるかもしれません。

一方で、今福島県に残っている人は、不安と闘いながら生活している。強い人が残っているのではないでしょうか。今、踏ん張れば、10年、20年先、日本で番最先端の地域になる可能性もあるのではないでしょうか。

 そのように考えると、本プロジェクトは福島県内だけでなく、県外に対して強いメッセージ性を持っています。今後も継続し、「だれが見ても応援したくなるよね」「この時期だからこそ続けないといけない」というような社会に対するメッセージを提起していきたい。それこそが、全国から駆けつけてくれる里親さんへの御恩返しになると思います。

 


◆鈴木会長のインタビュー掲載小冊子はこちら(PDF) 
http://www.sunflower-fukushima.com/report/3630.html

◆プロジェクトが一目でわかる映像はこちら
http://www.sunflower-fukushima.com/report/3569.html
こんにちは。
福島ひまわり里親プロジェクト事務局です。

教育小冊子(2014年発行)より、チームふくしま理事による
お話のご紹介をさせていただきます。

私は広島県広島市生まれ。福島に就職。その後、起業して福島在住9年になりました。

 広島には「人見知り」ではなく、親しくなるまでに時間がかかる「二度見知り」と言う言葉があります。福島県会津地方では「三泣き」(出会って泣き、親しくなって泣き、別れるときに泣く)といいますが、それぞれ、丁寧に付き合うと味わいのある人間関係が築ける地域だとしみじみ感じます。


 
20142月、福島県内に大雪が降りました。夜、車を運転しているとき、私の車が雪にはまってしまいました。すると音を聞きつけて、周囲の家々の電気が付き、パジャマ姿の人々が家から出て、車の脱出を手伝ってくれました。そんな温かみのある地域が福島です。いま、福島ひまわり里親プロジェクトをやっている仲間たちと活動し、全国の里親さんのもとへ行かせていただいていて、しみじみ考えます。プロジェクトの仲間、里親さんはなんと気持ちのいい志の高い、人たちなのだろうと。どこにいるか、というよりも、誰といるかということが大切なのだと。


 
 震災で気づかされたことはたくさんあります。大きな揺れが起きて建物の外に逃げて出たとき、私たち大人は子どもを真ん中において、覆いかぶさるように守っていました。その後、子どもと離れて移動したとき、体に震えが来ました。人は人のために何かするときには普段以上の力が発揮されるということです。


 震災直後、ガソリンスタンドへ数リットルの給油のため何時間も順番待ちをしている車の列に、薬局で買ったお菓子を配りました。「一緒にがんばるべ!」と声を掛けながら。その後、原発の事故が起きて放射能の影響があるということで、会社を休みにし、関西に一度避難しました。関西に行ってみると、ほとんど大震災の影響がなくて、「本当に同じ日本だろうか」と思いました。それでも福島には社員も仲間もいます。それで、「まずは自分たちで放射能を測って、影響を調べよう」と測定器を買い、何度か、関西と福島を行ったり来たりしました。この間、もう会社も終わりかな、とそこまで考えたこともありました。


 その間、お世話になっていた方々に、いろいろと電話をしていたのですが、二本松市の障がい者の作業所「和(なごみ)」で、所長さんから「震災と原発事故で、お菓子の箱折りや野菜の出荷もゼロで仕事がない。これからどうしていいかわからない」という相談を受けました。とにかく何とかしなければ。仕事を作っていこう。そんな思いで、福島ひまわり里親プロジェクトをスタートさせました。


 全国の方々にひまわりの種を買ってもらい、地域でひまわりを育ててもらい、採れた種を福島に送ってもらう。次の年も、全国でひまわりを咲かせてもらおう。「和」さんには、ひまわりの種の袋詰めなどの作業をお願いしました。作業所を訪ねたある日、利用者の方が私の方にダーっと走ってきて、「お仕事楽しいです。ありがとうございます」と言ってくれました。話しかけられた私の方が元気をもらいました。


 
 プロジェクトは、雇用、観光、風評被害対策、教育、防災、交流といった目的があります。教育の分野では、全国の学校865校が、「福島に行けないけれど、何かしたい」と参加してくれています。福井県の小学校ではひまわりの歌を作ってくれたり、体育の日にひまわりの人文字を作る、三重県や東京などの中学生は種を持ってきてくれるなど、交流も広がっています。防災意識を高める授業に活用してくれている学校もあります。


 最終的な目的、私たちにとって最もうれしいことは、福島ひまわり里親プロジェクトが必要ではなくなることですが、現実的にはまだまだ必要です。今は、困難なことが多い福島ですが、この困難の中でも前を向いて希望を捨てないことで、将来は子どもたちの中から素晴らしい人物が誕生することも期待したいと思います。福島が尊敬やリーダーを輩出する「人物のまち」になればと考えています。

 

◆理事長 半田真仁の
インタビュー掲載小冊子はこちら(PDF) 
http://www.sunflower-fukushima.com/report/3630.html

◆プロジェクトが一目でわかる映像はこちら
http://www.sunflower-fukushima.com/report/3569.html

こんにちは
福島ひまわり里親プロジェクト事務局です。

教育小冊子(2014年発行)より、チームふくしま会長 鈴木厚志の
お話をご紹介いたします。

震災の直後は、だれもが放射能が怖かった時期でした。友人の中には、炊き出しをしたり、避難したりという人も出ました。そんな中で「自分も何かしたい。何かしなければ」という思いがわいてきました。その時に、今の「チームふくしま」メンバーや先輩方から声を掛けられ、活動するきっかけをもらいました。僕一人では、何もできなかったでしょうけれども、仲間が声を掛けてくれたことが大きなきっかけになりました。

私は飲食店を経営しているのですが、震災の時も店を開け続けました。除染作業をしているお客さんが「俺らが除染をするから、あんたらはおいしい食事を出し続けて」といってくれたことや、浜通りから避難されてきたご家族が「二日ぶりに温かいご飯を食べました」「おいしかったよ」と泣きながら言ってくれたことが、今も忘れられません。震災直後に仕事をする従業員の前向きな姿勢もうれしかったですし、飲食人としての仕事の使命も感じました。

福島ひまわり里親プロジェクトへの参加を決め、自分から積極的に関わろうと思った大きなきっかけは、特別なことや大それた目標があったからではありません。震災の前から一緒に活動してきた仲間、日頃からつながってきた人から誘われて、何か一緒にやりたいと思ったからです。身近な人との信頼関係を大切にしたいとも思いました。

プロジェクトを通じて、たくさんのことを学んでいます。

一つには、福島県や全国のたくさんの里親さんへの感謝です。「福島のために」と、汗をかいて種をまき、愛情を持ってひまわりを育て、種を福島に送ってくれています。里親になった子どもたちからのメッセージもたくさん読ませていただきました。純粋で、素直な気持ちがこもった手書きのメッセージを読んでいるだけで、優しい気持ちや思いやりが伝わってきます。僕たちが学ばせてもらっているのです。

プロジェクトを進めるうえでは、身近な人が一番大事な人だということ、小さなことをコツコツやることの大切さを改めて実感しました。そうした体験を通じて、自分がやっていることは大事なことなのだなと、誇りややりがいを感じました。

震災から3年。今年も、全国の里親さんが参加して「ひまわり甲子園」が福島市で開かれました。本プロジェクト、そして参加してくれている里親さんの学校などが次々に表彰を受け、社会的にも評価されてきました。このプロジェクトの力、魅力を感じます。そして、このプロジェクトに取り組む子どもたちが大人になったとき、本当に素晴らしい仕事をしてくれるだろうと楽しみです。

ひまわりの種をまいて育てるということは自分を育てるということ。参加してくれた子どもたちには、「一生懸命取り組む」ということに挑戦してもらいたいと思います。何事も一生懸命やることはで、新しい、知らなかった自分に出会うということでもありますから。

私の夢は、日本中にひまわりが咲いていることです。ひまわりを見た人が「あれは自分が育てたひまわり」と言って明るく元気になることです。今の福島は、子どもたちの人数が激減しています。震災が起きたときに10歳以下だった子どもは、3年前より4000人、100クラスも減っていると、最近、福島県内の経営者の方に伺いました。将来、福島県内で労働力不足が起きるかもしれません。

一方で、今福島県に残っている人は、不安と闘いながら生活している。強い人が残っているのではないでしょうか。今、踏ん張れば、10年、20年先、日本で番最先端の地域になる可能性もあるのではないでしょうか。

 そのように考えると、本プロジェクトは福島県内だけでなく、県外に対して強いメッセージ性を持っています。今後も継続し、「だれが見ても応援したくなるよね」「この時期だからこそ続けないといけない」というような社会に対するメッセージを提起していきたい。それこそが、全国から駆けつけてくれる里親さんへの御恩返しになると思います。

 


◆鈴木会長のインタビュー掲載小冊子はこちら(PDF) 
http://www.sunflower-fukushima.com/report/3630.html

◆プロジェクトが一目でわかる映像はこちら
http://www.sunflower-fukushima.com/report/3569.html
こんにちは。
福島ひまわり里親プロジェクト事務局です。

教育小冊子(2014年発行)より、チームふくしま理事による
お話のご紹介をさせていただきます。

私は広島県広島市生まれ。福島に就職。その後、起業して福島在住9年になりました。

 広島には「人見知り」ではなく、親しくなるまでに時間がかかる「二度見知り」と言う言葉があります。福島県会津地方では「三泣き」(出会って泣き、親しくなって泣き、別れるときに泣く)といいますが、それぞれ、丁寧に付き合うと味わいのある人間関係が築ける地域だとしみじみ感じます。


 
20142月、福島県内に大雪が降りました。夜、車を運転しているとき、私の車が雪にはまってしまいました。すると音を聞きつけて、周囲の家々の電気が付き、パジャマ姿の人々が家から出て、車の脱出を手伝ってくれました。そんな温かみのある地域が福島です。いま、福島ひまわり里親プロジェクトをやっている仲間たちと活動し、全国の里親さんのもとへ行かせていただいていて、しみじみ考えます。プロジェクトの仲間、里親さんはなんと気持ちのいい志の高い、人たちなのだろうと。どこにいるか、というよりも、誰といるかということが大切なのだと。


 
 震災で気づかされたことはたくさんあります。大きな揺れが起きて建物の外に逃げて出たとき、私たち大人は子どもを真ん中において、覆いかぶさるように守っていました。その後、子どもと離れて移動したとき、体に震えが来ました。人は人のために何かするときには普段以上の力が発揮されるということです。


 震災直後、ガソリンスタンドへ数リットルの給油のため何時間も順番待ちをしている車の列に、薬局で買ったお菓子を配りました。「一緒にがんばるべ!」と声を掛けながら。その後、原発の事故が起きて放射能の影響があるということで、会社を休みにし、関西に一度避難しました。関西に行ってみると、ほとんど大震災の影響がなくて、「本当に同じ日本だろうか」と思いました。それでも福島には社員も仲間もいます。それで、「まずは自分たちで放射能を測って、影響を調べよう」と測定器を買い、何度か、関西と福島を行ったり来たりしました。この間、もう会社も終わりかな、とそこまで考えたこともありました。


 その間、お世話になっていた方々に、いろいろと電話をしていたのですが、二本松市の障がい者の作業所「和(なごみ)」で、所長さんから「震災と原発事故で、お菓子の箱折りや野菜の出荷もゼロで仕事がない。これからどうしていいかわからない」という相談を受けました。とにかく何とかしなければ。仕事を作っていこう。そんな思いで、福島ひまわり里親プロジェクトをスタートさせました。


 全国の方々にひまわりの種を買ってもらい、地域でひまわりを育ててもらい、採れた種を福島に送ってもらう。次の年も、全国でひまわりを咲かせてもらおう。「和」さんには、ひまわりの種の袋詰めなどの作業をお願いしました。作業所を訪ねたある日、利用者の方が私の方にダーっと走ってきて、「お仕事楽しいです。ありがとうございます」と言ってくれました。話しかけられた私の方が元気をもらいました。


 
 プロジェクトは、雇用、観光、風評被害対策、教育、防災、交流といった目的があります。教育の分野では、全国の学校865校が、「福島に行けないけれど、何かしたい」と参加してくれています。福井県の小学校ではひまわりの歌を作ってくれたり、体育の日にひまわりの人文字を作る、三重県や東京などの中学生は種を持ってきてくれるなど、交流も広がっています。防災意識を高める授業に活用してくれている学校もあります。


 最終的な目的、私たちにとって最もうれしいことは、福島ひまわり里親プロジェクトが必要ではなくなることですが、現実的にはまだまだ必要です。今は、困難なことが多い福島ですが、この困難の中でも前を向いて希望を捨てないことで、将来は子どもたちの中から素晴らしい人物が誕生することも期待したいと思います。福島が尊敬やリーダーを輩出する「人物のまち」になればと考えています。

 

◆理事長 半田真仁の
インタビュー掲載小冊子はこちら(PDF) 
http://www.sunflower-fukushima.com/report/3630.html

◆プロジェクトが一目でわかる映像はこちら
http://www.sunflower-fukushima.com/report/3569.html

2013年3月から開催しております、東日本大震災があったから”こそ”生まれた物語を発表する「ひまわり甲子園」。
地方大会、全国大会とこれまで沢山の皆さまに発表していただきました。
その発表内容を「グラフィックレコーディング」という手法を用いてイラスト化しました🌻
本日は「渋谷美恵」様の発表イラストをご紹介させていただきます🌻
ぜひご覧くださいませ🌻





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ご自宅で子供達と花育にオススメ🌻
ひまわり里親さん募集中です!
https://www.sunflower-fukushima.com/satooyamoushikomi/