母を喜ばせるためにのみ存在する私 | あ~ちゃんとにょんにょんの…ふたりごと

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主に育児日記・・・かな?
あ~ちゃん誕生の頃から断続的に書きためた日記です(*^_^*)

高校生になった頃、

母はよく「もう我慢しなくていいよね」と言うようになった

 

母が言う【我慢】とは

【どうしようもなく駄目な父親を、子どもたちに尊敬させるために演技していた】ということだった

 

父親に原因があって、私たちがつらい思いをしていることでも

原因を子どもたちに押しつけて、父親を悪者にしなかったのは、

【私たちが父親を尊敬し続けるために必要なことだった】というのだ

 

今、自分が娘たちの親になって考えれば、

【そんな馬鹿なことはない】

【子どもを傷つけてきた自分を正当化するなんて、あり得ない】

と、確信できるのだが、そういう心境に至るまで、20年以上かかってしまった

 

つらかった

苦しかった

 

今なら声を大にして言える

あのときの私は何も悪くなかったんだ

 

でも、そう思わせてくれない、悪魔の一言が今でも心に突き刺さっている

 

母が言った

「あんたさえ生まれなければ、私はもっと幸せになれたのに。」

 

心が凍り付くって、こういうことをいうのかな…

でも、当時は、きっと一瞬で心が凍ってしまって、何も感じなかったんだろうな

 

ただただ、

「私がいるせいで、母は幸せになれなかったんだ。」

「私がいなければよかったね。うまれてきてごめんね。」

こんな感情しかなかった

 

私は、この世にいない方がよかったんだ

この世にいてはいけない人間なのに、この世に存在してしまった

だから私は、これ以上母が不幸せにならないように頑張らなきゃいけないんだ

 

それからの私は、

「こうすれば母が喜ぶ」

「これができれば母が喜ぶ」

という、母が喜ぶことをするために生きるようになった

 

自分のために生きるという感覚はなくなっていたことに今になって気づいた