
同僚のバイク。2輪車は4輪に比べて機械部分の視認範囲が大きいのが魅力かと。
ちなみにぼくも中免持ってて、長いことバイカーでした。

自宅建物の階段。節電で薄暗いです。

同じく階段。明かり取りの丸い窓(写真下の方)があります。

藤沢駅北口一角。駅前なのにこの界隈だけなんとなくやさぐれてて、時代に取り残されている感がいい感じです。
「こぐま」は映画「20世紀少年」でも使われました。

脇の駐車場に隣接する菜園の花。植物には詳しくないので、御存知の方、名前を教えて下さい。

にゃんこ

うちの階段にあるラウンド型ウィンドウ。面白いですが、機能的ではなさそうです。

雨。写真に撮るのは大変難しいことがわかりました。
美しい雨の写真が撮れるようになりたいですね~!
最近思うこと…
四半世紀ほど問い続けた「なぜ自分は在るのか?」
中学生くらいからですから、年季の入った、とても哲学的な疑問です。
それに対して、ひとつ結論が出そうです。
『 質問、疑問として成立しない 』
これがおそらく自分としての結論です。
同義の質問に
「何のために生きているのか?」というのもありますが、
これも一緒です。
現在の宇宙科学論において、ビッグ・バン以前に時間は存在しないと考えられています。
この時間を「巻き戻し」して考えたとすると、スタート時間以前に何が在るのか?という質問はそもそも成立しません。
生きていくのにはあまりにも不確定要素が多い世界ですから、何かしらの理由を求めていないと人間は精神の均衡を保てない生き物なのかもしれません。
逆説的に考えれば、その理由が何であっても不正解ということではなく、ひとそれぞれ自由に理由を持てばそれでいいのです。
そこに絶対的な答えがないといけないように考えてしまうと、世の中は物質経済的・享楽主義的な幸せを求めるか、感情・信仰主義的な非科学主義に幸せを求めるかの二元論になることも考えられます。
どこに普遍的な答えがあるか、それを考えるのも非常に人間的な所為ではありますが、しばらく心中から疑問自体を排除してみるとどうなるのか、試してみたいと思います。
有史以降、優秀な哲学者が考えても答えが出なかったこと(細かな条件付きは除きます)ですから、疑問として成立してないと考えると、不思議とすっきりしたりします。
そもそもの発端は生きるためのモチベーションなわけですが、現実的にはモチベーションゼロでも人間簡単には死にません。
生活なしには何も語れませんから、これは維持しなければならないのですが、精神的には完全に浮き草…クラゲとも言えますが、で「ゆらゆら」と流れてみたく思います。