『全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を 得て、そこに住んだ。彼等は互いに言った、「さあ、レンガを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代わりにレンガを得、漆喰の代わりにアスファルトを得た。彼らはまた言った、「さあ、街と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そして我々は名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔を見て、言われた、「民は一つで、皆同じ言葉である。彼らはすでにこのことをし始めた。彼らがしようとすることは、もはや何ものもとどめ得ないであろう。さあ、我々は下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。』
これがそもそも、地上の人間達が異なった言葉をしゃべる理由なのだ、と聖書は理由付けし、それが神の,思い上がった人間に対する罰のように言われてきたけれど、もしかしたら、これは、それぞれ異言語を持つということは、自分ではブレーキを利かせることの出来ない人間を哀れんだ、神の恩寵としてとらえる方が、極めて現代に即した解釈なのではなかろうか。(梨木香歩)
恥ずかしながらバベルの件を読んだのは初めて。梨木香歩の解釈が胸に残った。
これがそもそも、地上の人間達が異なった言葉をしゃべる理由なのだ、と聖書は理由付けし、それが神の,思い上がった人間に対する罰のように言われてきたけれど、もしかしたら、これは、それぞれ異言語を持つということは、自分ではブレーキを利かせることの出来ない人間を哀れんだ、神の恩寵としてとらえる方が、極めて現代に即した解釈なのではなかろうか。(梨木香歩)
恥ずかしながらバベルの件を読んだのは初めて。梨木香歩の解釈が胸に残った。