新しい保育園に移って8ヶ月。
(数えで)6,7歳混合クラスになって初めての
面談でした。
娘はまぁ何も心配いらないということで、そうだろうなぁと思ってましたが一安心。
迎えにくるの遅いほうがいいと言うくらいなので居心地がいいのでしょう。
先生との話でちょっと気になったのは…
■先生「娘が日本人だといっても韓国のやり方でやれたらいいと思っている」
え??娘は(日本人でもあるけど)韓国人だけど?となんか違和感。全然韓国のやり方でやってもらって構わないし(というかそれ以外できないでしょ…)そうしていると思ってたのに、違ったのかしら…
先生「日系韓国人として…」
ん??日系韓国人なのかな?娘って。。
私が思っているより保育園の先生は多文化家庭であることを意識しているようです。
前の保育園の先生は娘が日本語しか話せなかった時から見てくれていたけど、娘のお気に入りの日本語の曲をかけてみんなで聞いてくれたり、ハングルの練習のときひらがなも書いてくれたりと日本語を尊重した取り組みをしてくれていたけど、今の保育園の先生は娘が韓国語ペラペラなのしか知らないから(日本語を話せることを知らないかも)また違うのかな。
■キムチが食べられない
娘はキムチを食べられないので給食ではキムチを特別に出してないそう。残したらいけないのでストレスになるといけないからだそうですが。
(残してもいいから他の子と同じように出せばいいのに…)他の子が「アンちゃんだけキムチがない!」とか言うこともあるとか。
あ〜だから娘が「○○ちゃんはキムチがたべられるんよ」って羨望の眼差しで言うのか…。
他の子はみんな食べられるそうです。
はぁ〜
この辺どうすればいいのでしょうか…。うちの食卓には辛いものがほとんどないので娘も慣れないよねぇ。辛いものを並べるべき?(私が辛いものそんなに好きじゃない
)この間は娘が中辛カレーを食べられてその辛さへの耐性にかなり感動したところなのに。
■お弁当
ほんのたまに作らなきゃいけないお弁当を日本っぽくしてる私。というか韓国式のりまきとか作れないから。(^_^;)
一回やってみたけどむっちゃマズくて買ったほうが断然美味しいレベル。
こりゃ自分の作れるものを作ったほうがいいや、となんかフツーのおにぎり&玉子焼き&ブロッコリー&トマト&肉の炒め物みたいなお弁当を前回もたせたんです。
先生「他の子と違って大きなオニギリだったのをアンちゃんが気にしてたようなので今度は小さめの韓国式のオニギリを作ってください。」
へぇ…。
まぁそういうこともあるか、と先生に他の子のお弁当の見本写真を送ってくれるように頼んで帰ってきましたが。
娘にオニギリ大きくて嫌だった?とか聞くと「いや、別に〜
」とかどうでも良さそうな返事。(おにぎりも娘の小さなお弁当に入る一口サイズの小さいやつを作ったし、実際大きくない…)
先生が嫌なだけか。
先生が嫌だからそういうふうに見えるのかな。
なんかこの園への不信感はこういうちいさーなところからじわじわ来るのかもしれません。
先生は多様性を表面的には認めながらも心の奥底では認められてない人なんだろうな。どうしようもないけどね。(この先生、ご主人の仕事で他国に駐在経験があるらしいんだけど〜残念
)
前の保育園の先生は多様性を認めるのが上手な人で私も居心地が良くてとてもとても好きだったんですよね。どうしても比べちゃいます。
人種の多様性を認めるとはなんでしょうね。
私の個人的な考えでは多分まず人間はそう違わないことを知ること。基本的にみんな人は同じ。そしてみんな違う。矛盾しているようだけど。
最初の韓国式云々の話は…基本的に幼児を保育することは…世界で基本的には同じなはず。息巻いて「韓国式」などと言う必要はない。
キムチも給食なんだから一様にみんなに全部出せばいい。その上でアレルギーなどで摂取不可能なものは体質に合わせて除去し、辛いものは人種かぎらずみんな同様に慣れないと食べられないんだから、残してもいいことにすればいい。
お弁当は「お昼食べる携帯用の食事」としての機能を満たしていればそれを認め、各国の母が作るものを尊重し、違いを楽しめばいい。…と思う。
まぁかく言う私もうちの母が作るお弁当が変わっていて今で言うキャラ弁の走りというか…ご飯の部分は子持ち昆布で髪の毛…とか大体変な(!?)顔だったし、なぜかいつもお弁当で何かに挑戦する母で(納豆をご飯の間に挟むとかうどん!とか!!
)今思えば面白いんだけど、友達の間でも有名で当時はちょっと恥ずかしかったので子どもが違うことに敏感なのも分かるんですけどね。