父が死んだ。(お悔やみくださった方々、この場を借りて御礼申し上げます)
トイレに行った後、力尽きたそうだ。81歳だった。
オペ後13年、一度も入院せず施設も利用しなかったが、介助量が増えてきていよいよ夜間ヘルパーか、わしが泊まり込むかと相談していた矢先のことだった。
死んだ日の夜、枕元で線香番をしながら
「ここにいるのは父ちゃんの遺体であって、父ちゃんではない。もう地球上のどこにもわしの父ちゃんはいない」
と、ぼーっとビールを飲みながら考えた。不思議と涙はでなかった。覚悟するには十分な時間があったからだろうか。
それにしても目の前の遺体は、先週まで間違いなく父ちゃんだったのになあ。「来週も来るからね」と言った言葉は嘘にはならなかったが、そういう意味じゃなかったのに。人間死ぬ時はあっけないものだ。
いろいろ思うことはあるのだが、ありすぎてまだ上手く書けないや。
とりあえず、今回の父の死に方について。
恐らく、「自宅で妻に看取られながらの死」という最近で言うところの「理想の死に方」を迎えたのだろうと思う。
事前に往診のドクターも来ていたので警察も入らない「自然死」だった。
しかし、それはボケずにピンピンコロリとは程遠い、父の残存機能と、母の忍耐と、わしの仕事と近くの看護ステーションがたまたま上手く組み合わさった偶然の賜物だった。中でも一番の要因は、母の忍耐。
じゃあ、うちの母のように農家出身で家で死ぬことに慣れがある嫁を貰えば家で看取ってもらえるのかと言うと、今の農家は昔のような大家族ではないから農繁期に介護どころじゃなかろう。現に母より10歳近く若い叔父夫妻は両親(わしの祖父母)を病院で看取っている。
じゃあわしら医療・福祉系の嫁を貰えばいいのかと言うと、それも違う。うちらの業界ではかえって自分が出来ないと思ったことは早めに割り切って他人に任すことを考えるだろう。その中には、「今までの関係」というのが含まれると思う。仕事ならともかく、仲が悪かった人に血が通った介護を望むのは多分無理だよ。遠方に住んでいる相方の親に何かあったとしたら、時間と金と介護の質と自分のキャリアと今までの関係でバランスを考えて、親の望む場所(親の居住地かこちらか)でPTのバイトをしながら介護すると決めてるけどね、わしは。
わしの母が介護に耐えられたのは、たまたま母が両親を看取れなかったという後悔と、「他人に家に入られるのが嫌」という性格から来るものではあるが、同時に父が最後の防衛線・「トイレの自立」を守れたことが大きい。
これに関しては、初めから「トイレに行けなくなったら施設」と言い聞かせていたので、絶対に施設に行きたくない父は意地でも守り通したようだ。最後には自分の歳もわからなくなっていたぐらいボケていたのだが、強い目標を持つってすごい力になるのだなあ、と妙に感心した。普通に考えると、ボケずにおとなしくしてる人の方が介護しやすいのだが。多分、うちの父がもう少し動けなくなって施設に送ってしまったら「オムツしたから中にしていいよ」と言っても、オムツ外しして失禁するか、トイレに行こうとベッドから落ちる人になって、施設によっては預かり拒否されたかもしれない。
そうつらつら考えていくと、父の機能と母の忍耐、そして最終的に父が自然死をするために一番良かったことは、
「病院に行かなかったこと」
になるだろう。
(※注:父の最後の血液検査からの考察なんで、どんなケースでも自然死するには医者に行かない方がいいという意味ではないです。
それについてはこれ以上述べるつもりもないし、そういう立場でもない)
とりあえず、残された母の生活の質を守ることが長期目標、短期目標は父の墓探し。
それから、さぼり続けたジムの頻度を上げて、自分の体力増強が中期目標。