正直、今現在かなりめげている。
古くからの読者さんは、わしがにきあぷしない時は本当にめげている時ということはご存知だと思われる(笑)
現在めげている理由をつきつめて考えるに、勉強の状況よりも、たぶん持病である。しかも病気そのものの病態よりも病気を憂う精神状態だ。過去の患者さんにオーバーラップするところがある。病気のせいにしちゃいけない、って患者さんが言ってるのになあ。
普段はみくしで毒抜きをするが、それをわざわざここで書くのは、あのOTさんや、あの若い友人が読んでくれるかも、と思うからだ。いつものわしとは違う方向のにきになります、ご容赦を。
当然かなり伏せるが、若干守秘義務抵触方向。(場合によっては後日消します)
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入職何年目だったか忘れた。どう間違ったのか当院の守備範囲外の心の病で入院された患者さんを担当した。
毎日2~3単位、身体的なリハも行いながら傾聴を中心にリハビリを行っていた。
毎日毎日、精神的な辛さ、現在の状況(家族、病院病棟、リハ担当者である私)に対する不満の訴えを、否定せず時間一杯聞いて、必要に応じて夜間(どこもそうだと思うが、9時ぐらいまで普通に仕事あった)に見に行ったり、こまめに関わるようにしていた。
訴えを聞いた上でいよいよこのままでは辛いだろうから、ご家族の来るこの日に私も同席しますから事情をご家族に一緒に話しましょう、と話し合って決めた前日、その方は病院では起こってはいけないことをした。
幸いお身体には別状がなかった。(正確には多少あったのだが)
その日、わしはたまたま休みを取っていて(補足:たまたまではなく、その日を狙った可能性大)、翌日、出社してすぐに班のリーダーから丁寧な報告を受けた。リーダーや、わしのSV(スーパーバイザー)がいろいろ気を遣ってくださっているのがわかった。
後日、その患者さんの病に詳しいOTさんがリーダーとなり症例検討会を開いてくださった。
患者さんの病状、わしの対応、病棟との連携を細かく分析された上で、わしには大きな問題がなく、患者さんもわしをそれなりに信頼してくれたからこそわしに文句を言っていたのだろうが、主治医をもっと巻き込むと良かった、などの助言を頂いた。
当時の自分の記録を見ると、その場はともかく、徐々にその重さを感じて落ち込んでいたのがわかる。
その場も何も感じていなかったのではない。しかし、それ以上にその患者さんと関わることで毎日十分に傷ついていた。毎日毎日、繰り返し繰り返し、自分の無能さ、無力さを指摘する言葉をかけられるのは、いくら相手が病気の人で、自分は医療専門職でも辛いことには変わりがない。それが本当のことなら尚更、八つ当たりであっても。
「あなたにはわたしの気持ちは絶対わからない」
教科書では、「相手の言うことを否定しない」と教わるが、だからといって肯定すると、「あなたのことを絶対わかりません」ということになってしまう。
この言葉への正しい対応の仕方はどうなのだろう。
当時は、「たぶん、正確にはわかるとはおこがましくて言えませんが、とにかく辛いことだけはよくわかります」のようなニュアンスで答えていたと思う。
とりあえず覚えていることは、どんなに否定されても文句を言われても逃げなかった。それは同僚は認めていたので、誰もわしを責めなかった。しかし、同僚に認められたところで、結果は結果である。
しかし、どこかで何かが間違えていた。だからこの言葉を言われたのかもしれない。
そもそも、その方は「助けて」と言いながら、わし(他人)に解決してもらうことを本当は望んでいなかったのではないか。わしが解決を押し付けていた、というのは考えられる。だからこの言葉を言われたのか。
今でもその言葉に対する正しい返答が何かと言われると答えられない。
とりあえずその事件の後に思ったのは、
「リハビリで患者の心を救えると思うのは、とんだ思い上がりだ」
ということだ。それは今もそう思っている。
当時よりも前に進んだかも、と思うことは、その言葉を発する患者さんは、相手を傷つけるとともに、自分も傷つけているのではないかと気が付いたことかもしれない。
「わたしのことをわかるはずがない」「わたしだけがこんな思いをする」「わたしだけ!」「わたし!」「わたし!!」「わたし!!!」
と他人をシャットアウトすること、その言葉を発している自分は無意識で相手を傷つけているということを心のどこかで気が付いている。傷つく感受性を持つ人は、人を傷つけていることを知っていてそんな自分を更に責める。
「あなたにはわからない」「わたしだけが「わたし!」「わたし!!」のうちは、おそらく、リハビリに限らず、他人がどうこうすることはできず、そして自分も救われない、ということに無意識ではなく頭でも気がついてもらうしかないのではないか。
正解かどうかは知らない。そもそも正解があるのかもわからない。
めげている今、病気を持った自分に自問する。
「わたしだけが!」「わたし!」「わたし!!」に、今まさになってはいないか、と。