距離感 | 週刊さんでいリターンズ

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起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

今日もこれといった戦果なく、その上途中で寒さに負けて引きこもったおばさん学生ですこんばんは。


最近改めて気が付いたのだが、わしは同じ病気の人の痛みがわからない。
誤解のないように言うと、精神的な苦痛はともかくとして同病の方のブログを読んで痛みの質や、病態があまり理解できない。自分も同じ病気なので痛みはわかるだろうと思うかもしれんが、その中のどの痛みなのかわからない記述の仕方をされている方が多い。

じゃあ他の病気の痛みなら理解できるのかと問われると、自分がリハに関わったことがある疾患の方のブログは、同病の方よりもわかることが多い。

その理由を他の疾患と対比して分析してみたのだが、病気の説明だけで異常に長くなり、今回書きたいこととは大幅にずれてしまうので止めておく。申し訳ないが病気について語る元気は今はない。(というかヒマがない)


そう、書きたかったのは「距離感」の話。わからない理由は「病気との距離感」ではないかと思ってみた。

わしらの病気を特別扱いするつもりではないのだが、同病のブロガーさんは「病気」または「病気の私」と、書き手の距離感が近すぎて、良く言えば臨場感があり、情緒的にまとめる人もいるが、悪く言えば独りよがりで、大変なことだけはわかるが、わしらのように解決策を考えたい職業としては、何をどうしていいやらわからないことが多い。で、勢い読まなくなる。

仕事でもないのに何をしたいのかわからん愚痴に付き合うのは職業精神衛生上よろしくない。
(単に職業的な習性だけではなく、わしの頭の悪さによるものがあるだろうから、もちろん書く方の所為だけとは思わないが。)


病気に限らず、ブログなどいう素人さんが書くものも、「書き手」と「自分」の距離感のブレから、わしには理解できないものが少なからずある。

読みやすい文章だと思うのは、その距離感がどんな時でも一定で書ける方だ。

当たり前のようだが、案外そうでもない。わしも専門分野の記事ではつい力入って「書き手」と「自分」が近い近視眼的で「読み手」を置いてしまう記事になりやすい。

テーマを絞って書けば誰でも距離感を一定にすることはできそうだ。ところが日常生活はいろいろなことがあるもんだから、徒然を書くと文章の上手い下手がでるよなあ、と思う。

このテーマは上手いがこれは何言ってんだか全然わからんってこともある。それは「自分」と「書き手」の距離感を自分が上手くつかめていない訳だから、正直言って文章が上手い人とは言わない。気の利いた文章云々以前の問題だ。


ところで人気のあるブログ(芸能人は除く)をいくつか見ていて、気づいたことがある。
どうやら最近の世の中では「自分」と「書き手」と「読み手」が等間隔ぐらいが親しみがあり、好まれるのかもしれないなあと思った。「読み手」の中心が本世代からテレビ世代に変わったからかもしれない。

わしの文章を自己分析すると、書き手としての自分は「自分」を一歩離してみて、読み手とも一歩離れるタイプ、ブロガーとしては時代遅れなタイプです(笑)。