今日放送された、
NHK大河ドラマ「八重の桜」第30回放送「再起への道」
を見ました。
会津戦争で会津藩は負け、明治時代になりました。
八重の家族は、山形県の米沢の知り合いの家に移り住みました。
米沢で八重は、戊辰戦争で負けた会津を侮辱され、カッとなり、侮辱した男を、棒で何回も叩きましたが、
両替所の女性に止められ、棒で叩くのをやめました。
八重の弟「三郎」は鳥羽・伏見の戦いで亡くなり、八重の父「山本権八」は一ノ堰の戦いで亡くなり、
会津戦争で会津の人々は、たくさんの人々が亡くなり、たくさんの人々が自刀しました。
八重の会津の誇り、会津は悪くない、新政府軍に対する悔しさが、伝わってきました。
八重は、
「生きていくことが戦いだ。」
と、言いました。
会津は悪くないので、私は、会津に同情しました。
会津藩士の人々が、斗南藩として、青森県に行くことになりました。
会津藩士の人々が斗南に移住しましたが、作物は、あまり育たず、大変困難な生活だったそうです。
会津戦争で会津藩が負け、明治時代になり、たくさんの会津の人々は、会津を離れ、全国に移りましたが、困難だったそうです。
今日のドラマのシーンで、米沢で、会津の郷土料理「こづゆ」をつくり、食べ、八重は、
「なつかしい。」
と、言いました。
会津の郷土料理「こづゆ」は、貝柱で出しをとり、主に、お祝いの時に出される、会津の郷土料理です。
私は、会津の郷土料理「こづゆ」は食べたことがありますが、おいしいので、今度、会津に旅した時に、
「こづゆ」
を、また食べたいです。
八重か゛、
「生きていくことが戦いだ」
と、言いました。
新島八重は、
「激動の世を前向きに生きた会津の女性」
です。
来週も、八重が前向きに生きていく姿を、
大河ドラマ「八重の桜」
で見ようと思います。