ニンテンドースイッチで使用していたマイクロSDカードが壊れました
セーブデータ等に被害は無かったのですが、
そこそこの出費になりそうでガッカリです、日曜です
少し前のブログで「頑張れ」と「応援」の意味の違いをご紹介しました。
※こちらの記事です → 「チアー・ユー・アップ」の問題。
簡単に言えば「行動の主体者が違う」ようにカンジていて、
「応援」の方がより発言に責任を伴うと思っています
実は最近「応援」されて、泣いちゃったコトがあるので事例として共有します
ある日、仕事で悩んだ僕は「ちょっと甘えちゃおう」なんて気持ちで友人にLINEしました。
ところが直後に「自分の都合で他人に甘えるなど、俺らしくない」と思い直し、
「ウソウソ、今の気にしないで\(^^)/」なんて全力で明るく・楽しくLINEし直したのです
友人は「じゃあまた今度ご飯でも食べよう」なんて流してくれて、一安心したのですが・・・
その2週間後・・・
友人はハローワークの求人情報から僕が務まりそうな案件を探してLINEしてくたのです
これこそが「応援」だと思いました。
この時の友人の心理はおそらくこうです
1:なんか日曜君が変だな転職したばかりだし仕事のコトだろうな〜、気に留めとこう。
↓ (この気持ちを2週間維持したものと思われます。)
2:あれっ、この求人は日曜君にピッタリじゃんちょっと紹介してみよう。
こんなカンジでしょうか
友人は2週間前の僕の不調を気に留めてくれ、
わざわざ求人情報を検索して送ってくれたのです
これら一連の「気持ちの持続+具体的な行動」ってのが、
紛れもなく「応援」だと思うのです。
これが「頑張れ」だったとしたら、
「じゃあまた今度ご飯でも食べよう」ってトコロで終わっていた可能性があります。
友人は僕のために「行動」してくれたのです、負担にならない範囲で。
それがもう本当に嬉しかったのです
僕は支援職を志すものとして、かく在りたいと強く思うのです。
ちなみに紹介してくれた求人も正に僕のキャリアを理解していると思われる求人でした。
まぁ結局のところ転職したいワケでは無かったのですが、
これら一連の出来事が僕を勇気付けてくれたのは事実です。
というワケで、僕も誰かを応援したくなりました
「Fly Me To The Moon(ドリス・デイVersion)」を唄いながら。
中年の旅は、続く。