これからの「正義」の話をしよう | 壁の穴強盗団

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このタイトルの本は読んだ事無いんだけど、今度読んでみようと思う。

語りたいのは、丸亀製麺事件?を見て思った事。取り留めないが、記しておく。

2回に渡り散々バカだアホだと石川 和洋さんを罵ってきた訳だが、検索かけたら案の定2chにスレが立っていた。

「丸亀製麺クレーマー石川和洋特定スレ」という、まぁ冗談にしてもキツいスレタイトルだが、幸い書き込みの流れは「丸亀製麺に否がある」という論調で、しばらくは世論が急激に転換する事はなさそうだ。

しかし、これは偶々だ。偶々スレッドの流れが丸亀叩きに傾いているだけで、ほんの少しのバランスの変化で個人吊るし上げに一気に傾くこともあり得る。今現在でも、充分にその可能性はあり予断を許さない状況だ。

Facebook上で何かを糾弾すれば、このような流れになるのは火を見るより明らかだ。しかし、石川 和洋さんにそこまで見えていたのかどうかは疑わしい。それが証拠に、件の書き込みに対する閲覧権限を変更した様だ。多分、見ず知らずのアカウントから多数のメッセージやメールが入っているのだろう。

石川 和洋さんをこのブログ上でヤクザ呼ばわりまでしてしまったが、多分ご本人は至って普通の一般市民だろうと思う。自分の持つ良識の範囲で、正しいと思う行動をとったにすぎないのだろう。その行動に罪が問えるかと言えば、問えるものではない。

ご本人も、ネット上の支持数が多いので、自分の行動について「誤り」であったとは思わないだろう。しかし、不安にさせられる事も含め、カビっぽいうどんを食わされた以上の被害を受けているのではないだろうか?それは「正義」を成した代償として見合っているものだろうか。

ネットに限らず人が集まるところでは「善か悪か」ということはあまり重要視されない。集団を構成するひとり一人の意見を聞けば、それなりに"善・悪"の分別はあっても、それがそのまま集団の「正義」に反映されるわけではない。

"正義の反対は「また別の正義」なんだ"

という、多くの人に感銘を与えたセリフがあるが「集団」、人の集まりにとっては「正義」なんてものは無いと思った方が良い。集団にあるのは枠と方向と勢いだけだ。だから、支持意見が多いから「正義」である。という勘違いはしない方が良い。

特にネット上の支持数など本当にアテにならない。江南スタイルのyoutube再生数のはじめ、インターネット上では数字のトリックを仕掛けやすい。2極のバランスに、想定より大きな偏りがある様なら、その結果を疑ってかかるべきだ。

勢いがある時は、ある一方向に大きく傾くが、勢いが衰えれば逆方向の意見が増長してくる。そんな潮の満ち引きの様に揺れ動く志向が「正義」でなどあるはずがないではないか。

では、世の中に正義は無いのか?と言えば正義はある。自分自身の中に正義はあるだろう。それもまた確固たる正義であるとは言い難いが、ネット上の支持数に惑わされた「正義」を信じるよりはマシだ。

正義は己で創造し、試し、培っていくしかないものだろう。