内なる叡智につながるとき、求めていた答えがやって来る。


答えを自分の外側の世界に探し求めているときには、求めている問いの答えは得られない。


確かに外側の世界には「知識」が溢れかえっているけれども、“智慧”がなければその知識や情報の意味するところを精妙に理解することはできないし、活かすことができない。


それは例えばキッチンに包丁や鍋があっても、その扱いを心得ていなければ役に立たないだけでなく、かえって危ない物となってしまうようなもの。


自らの内なる“智慧”に通じてこそ、そこに照らし合わせるように外側からの知識が答えとなって理解できる。


内なる叡智ありき。


そのためにはまず自分の中で迷いや混乱が起きていることをありのまま認め、答えを求めていることに気づくこと。


そうすれば答えを求める自分の願いと、神の願いが一致し、答えや理解がやってくる。


問いそのものをハッキリと自覚するとき、同時に答えがそこにある。


“求めよ、さらば与えられん”


“叩けよ、さらば開かれん”


内なる神に求めれば与えられる、開かれる。