“生かされている”という感覚がどれほどの至福をもたらしてくれるか。
分離した意識から生じるエゴは、「自分」が考え、行動し、生きていると思っている。
この意識の中には葛藤があり、苦痛がある。
目覚めた意識は、これが錯覚であることを悟っている。
葛藤と苦痛の中から、神への祈り、委ねが生まれるとき、この苦痛の檻の中からの解放が起こる。
エゴは何一つコントロールしていないし、生きてもいない。
ただ神だけが生命であり、創造し、生きている。
“生かされている”と知るとき、安らぎのなかに入る。
この安らぎは素晴らしい。
そしてここに神と一体であり、神そのものである真我が呼吸し、脈動し、生きている。
すべてを神に委ねるとき、神によって生きていることを知り、安らぎと至福に満たされる。