この世において、「現実」と呼ばれるものにおいて、何をするかは、実はほとんど重要ではない。


「現実」と呼ばれるものは、それを実在であると考えているときには実在であるように錯覚するけれども、一度意識が錯覚から抜け出せば、それは実在ではなくなる。


現実は実在ではなく「夢」に近い。


夢を見ている間は、それが夢ではなく現実のように思うけれども、目が覚めてしまえば、それが夢だったと気づく。


稀に夢の中において、これは夢だと気づきながら夢を見ることもあるように、現実においてもこれは夢だと気づきながら生活することもできる。


現実は固定されたものではなく、つねに変化しているし、今にも変化しようとしている。


石のように重く固いものではなく、水のようにやわらかい。


実際に、すべては光の海から表れているのだから、ゆれていて、振動している。


ただ神だけが、光の海だけが実在でありリアリティであり、それ以外は夢であり幻影。


この夢や幻影はやわらかく、つねに変化し、今にも変化しようとしている。


変化するままに任せれば、変化していく。


意識が現実を実在であるかのように錯覚し、固定してしまうときには、変化を止めてしまうことになる。


意識が錯覚に気づき、夢から醒めれば、夢はやわらかく速やかに変化する。


変化させるのは神であり、叡智をもった生命であり、光の海である。


すべては神であり、神であるままに相応しい特質を表そうとしている。


私たち神の実子は、神のあらわれであり、神であるために神のすべてを与えられている。


この“神”、自らの内に在り、外にも在り、すべてに遍満する光の生命に意識を向け、見つめれば見つめるほど、それは自然とその姿を表してくる。


どれほど苦しく、絶望的な状況であったとしても、それは幻影であり、変化する。


神のパワーが変化させる。


すべては神であり、神であるままに自らを表し、すべての神の子たちに与えようとしているのだから、変化しないということはない。


どれほど人類の現況が「度し難い」ものであったとしても、神の力に抵抗するだけの力は存在しない。


すべてが神であり、自らの存在そのものであるものに、どうやって逆らうことができるだろうか。


私たちは神であり、神のはたらきのままに在る。