肉体の細胞の一つ一つが、光でできている。
この光、神、生命が細胞をつくり、細胞の中に流れ込み、生かしている。
生きとし生けるもの、すべては神が創造し、流れ通い、生かしている。
神の見え方は光であり、その心地は愛であり、その働きは生命。
細胞の中には分離の歴史と記憶が刻まれているけどれども、それも神から分離したという意識、分離しているという意識とその記憶にすぎない。
これは繰り返される記憶であるから、過去であって今ではない。
目の前で繰り返され、繰り広げられる分離と記憶と体験の背後には、神があり、光がある。
神の中で、光の前で、分離の闇は照らし出され、明るみに出され、とけて消えていく。
これがゆるしであり愛。
細胞の中に刻まれた分離の記憶も意識も、過去の残像。
これに対して、今、光からこのように言おう。
あなたも神であり光である。
細胞の一つ一つが神でできており、光によって生きている。
「生きている」のは神により、光により、生命によっている。
生きているのは神であり、光であり、生命だ。
この神、光、生命が呼吸し、脈動している。
すべてを創造し、かつ生かしているのであれば、それは愛そのもの。
この愛が自らを生かし、自らは愛そのもの。
肉体、細胞の一つひとつが神の愛、光によって構成され、生きている。
だから分離はあり得ない。
すべてが光だから。