今日はある集まりに参加するため

 

3時間かけて富士山の山麓まで出かけて行った

 

初めて会う人たち

しかしこうしてあるエネルギーに惹かれ

同じ場所に集まった奇跡

 

楽しくも深い学びの一日だった

 

帰り道、道を何度も間違えて5時間山の中をさまよった

 

昼間の楽しさと打って変わり

高い山間の道はだんだん暗く

山肌が青く闇に包まれていく

 

途端に心細くなり

ラジオをつけるが電波が届かない

静かな車内、ハンドルを握りながら

 

ふとかつての家族旅行のことが目に浮かんだ

 

今となっては家族との何でもない時間が宝物になった

そして4年会えない息子たちとの何気ない時間は

決して何気ないものではなく

 

心を籠め、愛をこめ、未来への夢を託し

行じてきた素晴らしい時間だったこと

 

決して一時の感情で消し去れるほど「薄い」時間ではなかった

その思いのエネルギーは今も彼たちの中で生き続けている

いや自分中にさえも生き続けている

 

思い出に「血」が通い

暖かくほのかな明かりが灯った

 

しばらくしてまた、こんな思いが浮かんできた

 

「いったい何をしていったら私は生活できるようになるのだろう?」

食い扶ちを気にしている自分と

理想を追いかけようとしている自分が交互に登場してくる

 

どちらも何かが違う…

 

夜中の10時過ぎ峠を越え遠くに平野の明かりが見え

ドライブも終盤を迎えようというころ

 

「ああ、」

どれだけその行為に愛を注げるか、

その表現方法が音楽であったり、絵であったり、言葉や歌であったり

するわけで…

敷いては、

広く人類の幸せを願う心が「商品」を届けることであったり

製品を生み出すことであったりするのだ

 

では私は何に愛を注ぎたいのか

 

何にならばたっぷり愛を注ぎ続けることができるのか

 

それが仕事になるのだと今日はっきり分かった

 

単純だけれど、意外に盲点。

 

本来、すべての行動の源点は愛なのだということ

大切なことに気が付いた。

 

いや、意識に上った、と言おう。