外はうだるような空気に包まれ

危険なほどの日差しだ。

 

休日のパン屋はいつもよりも人が多く

約パンの数も多い

 

午前7時到着した時点で

おびただしいパンがいくつもの番重の中に入っている

 

激しい労働で倒れたスタッフのことを思いながら

黙々と作業を続ける

 

声には出さないけれど

注意すると実に多くのことを考えている

 

そして、この作業状況を統括する存在に

激しい敵意を感じている自分がいた。

 

なぜ、これ程までにこの環境に敵意を感じるのか

かえって不思議だった。

 

ふと遠い昔に、

私の夫が受けた仕打ち

もっと遠い昔

私が家族から受けた仕打ち

そして

家族内における差別的な出来事が

 

脳裏に浮かんだ

 

人が人を農奴のように使うこと

決して虐げられた立場を理解しようとしないこと

 

さらに、

家庭で死に物狂いで働き続けた「自分へ」の怒り

元夫への怒りと似た思いが息巻いているのに気付いた。

 

人はあらゆるところで誰かを

以前の体験の怒りのターゲットにしているらしい

 

はて?

 

私はそこから何を学ぶか?

 

当時の自分ができなかった「それ」を

今学びなおすチャンス?

 

今回の私は何を表現して

 

この「農奴」に似た体験を超えていくのか?

 

しかし、一つ以前の自分と違うのは

 

仲間への愛

ユーモアを味方にしていること

そんな時にもネガティブワードを発令しないこと

 

は達成した。

 

では、その次の一歩は?

 

感情という尾ひれを抜いて

冷静に相手に思いを伝えていくこと

 

環境から自ら抜けていくこと

 

そこに思いをとどまらせないこと

 

自分がいないその場所は

神様の手の内にあるのだから

 

あと、二週間

 

ここでの場所に感謝ができるよう

ネガティブな感情の中から

気が付けることができますように

 

祈りつつ。