私の人生は
社会生活から遠い
非常に個人的な生活の中に
カッコで区切られた世界の中に
暮らしてきたように思う
社会一般的な家族の在り方
家庭的なルール
養育のパターン
人との付き合い
などなど…
そのバリエーションを知らな過ぎて
外界が「未知」そのもので怖かった
お化けのように
その実体が解らないものは怖いと感じるように
社会そのものが「未知」そのもので怖かった
一旦、社会の中に放り出されると
20歳から50歳まで暮らしてきた「慣習」など
ほとんど役に立たなかった
いや、それより
それらを一旦すべて捨てて
真っ白なページに新しいメモを書き込むように
新しい「常識」を叩き込んで、、
また場所が変わると
リセットして新しい場所の「ルール」「常識」をいれ、
次々と繰り返す日々が続いた
入れ物が変わればその中の「ルール」はほとんど変わる
次第にその「ルール」もその入れ物の中だけで通用するものと
解ってきた。
ただ、すべての「常識」や「ルール」が毎回変わるだけでなく
自分の中に蓄積していく「知識」もあるということがわかってきた
いつもの失敗の陰には
私のいつもの心の癖があり、
それは「自分の考えに固執する自分」
「他者を自分と同じように思い尊敬する姿勢にかけていたこと」
「競争や優劣で見たり考えたり、感じてしまうこと」
それはいつも手堅い「敵」となって私の前に現れた。
数々の失敗と自分の心の癖と出会いながら、
身に着けてきたこと
それは「相手に対する最大の敬意を払い尊重すること」
「それを心から本心と一致するようにすること」
「思い込みを外して、明るく繰り返し確認すること」
「相手を信じて恐れず質問すること」
「おかしいなと思ったらすぐ対処すること」
「細かいことにも感謝を伝えること」
「呼吸を整えること、背骨を整えまっすぐな姿勢をたもつこと」
「おしゃれには気を使うこと。相手に対する敬意として身なりをきちんとすること」
「繰り返し復唱して、思考のスレがないかを確認すること」
「エンドユーザーにどんな想いを届けたいのか明確にすること」
「そのことに身を尽くすこと」
どんな意外な職種に就こうとも
結局はこれらのことに集約されてくる
そして、これはぺーぺーのペーとして仕事を行う流儀となりつつある
いや、人生一番苦手なことを
いま勉強させられているような気がする
おかげさまで、もう社会への恐怖感は薄れた
自分が何もわからない存在である「不安感」からも
抜け出せた。いくら知ろうとしてもきりがないくらい
この世の中はバラエティーに富んでいる。
どれだけ、「ミスを少なく」「ちゃんと」こなせるかじゃなくて
どれだけ、心を尽くすことができるのか
そのための素地は自他の尊敬と、優劣で考えない心、と集中である。