生協活動は2年目に入った
相変わらず、Aさんは生協活動に心血を注ぎ
熱くこれからの社会状況を案じ、語っていた。
そして、
今私達にできることは?いつも真剣に考えていた。
そのAさんから、突然のお誘いがあった
「お願いだから、一度でいいから私の教会にきてくれる?」
教会?
聖書は人間のイエスという人に興味を持ち、
何故か、親しみを持っていたが
私には教会という組織には興味がなかった。
しかし、執拗なAさんの誘いに断りきれず
ある日、Aさんの車に乗り連れて行ってもらうことになった。
例のAさんの黄色い車に乗り出発した。
Aさんは「あれ?」とか「やっぱり…」とか独り言を言いつつ
市街地に出て、工業専業地域のそばから高速道路の側道に入り
結構なスピードを出しながらどんどん田舎に向かって車を走らせていった。
車は見覚えのある場所にでて
実家に近い地方道路沿いの脇道に入ったところの教会についた
車は一時間近くも走っていたが
まっすぐ来れば20分でついてしまう位の近い場所だった
Aさんはかなりの方向音痴だったらしい。
そして驚いたことに
第一子を妊娠中に
夫とチャリティーコンサートを聴きに
初めて教会というところに来た場所だった。
「わたし、ここにきたことあるわ!」というと
Aさんは目を丸くしていた。
多分10年以上ぶりだったと思う。
当時の記憶と実際の建物内部の構造は
鏡で写したように反転していたが確かにここだ。
ホールの扉を開いた途端、
懐かしさとホッとした気持ちに包まれた。
中から控えめだけれど、とても美しい女性が現れて
「こんにちは。」と挨拶してくれた。
わたしはわけもわからないまま涙がこぼれていた。
「ありがとうございます」
何故かそんな言葉が何回も繰り返しでていた。
嬉しい出会いと
苦しい出会いのはじまりだった。
魂は真を喜び
表層の心の領域では真実を受け取ることが怖かった
それを拒んでいた
心の深いところでのせめぎ合いが始まったのだ。
嬉しいような、悲しいような出会いだった。