今日はおかしな夢を見た。
かつて住んでいたシックハウスを体験した家
そこには、違う誰かが住んでいたのだけれど、
私はその家に紛れ込んでしまう。
全く違った人の住む環境、
今までと全く違った雰囲気
部屋と部屋が変につながっていて
逃げ出そうとしても迷路のようになっていて
でられない。
ようやく外に出た。
すると、さっきまで
せわしなく子育てに追われていた母鳥が
水に濡れて無惨な姿で地面に転がって死んでいた。
その母鳥の死骸をカラスや無数の小さな鳥がつついている
母親を失った巣のひなも
無数の小さな鳥やカラスにとって
突かれて食べられている…
わたしは恐怖のあまり叫んでいた。
…そこで夢は終わった。
朝だというのにとても疲れていた。
はっきりとした生々しい夢に
呆然としながら布団の中でそのシーンを思い出す。
「きっとあの母鳥はわたしだ。」
自分の身を顧みず
必死になって、
巣にいる子どもたちにすべてを注いだ挙げ句
力尽きて死んでしまっていたのかもしれない。
鳥は死んでしまったが
しかし、私は今、生きている。
生きる方へ
生きる方へと
押し流されながら
今まで生かされている。
不思議と、もうダメだと思うと
1つ目前に灯りがともり、
それを頼りに一歩出て
またくじけると
新たな出会いに支えられて…と言った具合に。
夢で見た、「疲れ果てた母鳥=わたし」は死んだのだ。
夢判断で、「死」は再生を意味するという。
実はいい夢だったかもしれない。
一日経った今でもはっきり覚えている夢が
「かつての自分」のいろんなことを教えてくれる。