生協役員、黄色い車のAさんとの出会いから
生協職員、女軍人Yさんとの出会い
役員となって一緒に活動した人たち…
練り物、農産物、食品加工業者、日常品生産業者
農家、畜産加工肉生産組会、たくさんの生産者との出会いがあった。
日々、化学物質過敏症の症状と戦いながら
長男の発達障害と弱視の症状、
学校との連絡
5分の練習に1時間かかるバイオリンのお稽古
一日二時間の次男の幼稚園送り迎え
長女のシックハウス後の体調不良
それらの問題に対峙していた。
そして夫は相変わらず家に寄り付かなかった
わたしの心には
「なぜ?こんな非人道的な事が起こるのか?」
「なぜ?社会は起こっている事実を黙認しているのか?」
「なぜ?打ちのめされた人たちが勇気を持って声を挙げないのか?」
「なぜ?先天性異常は引き起こされるのか?」
「なぜ?人の心はこれほどまでに環境や食べ物に左右されてしまうのか?」
「どうしたら、生物としてまっとうな暮らしを実現できるのか?」
「なぜ?」
「なぜ?」
「なぜ?」
と繰り返されていた。
わたしには社会経済が人々の健康を犠牲にして
利益を産もうとしているようにしか感じられなかった
まるで自分の足を食べるタコのように
いずれ、大地も人間の体も経済によって食い荒らされてしまう。
そんな気がしてならなかった。
これから生まれる赤ちゃんたちが
お母さんのお腹の中で
毎日、おかしな物質に晒されていたら
細胞レベルでエラーが起こってしまうのはあたり前じゃないか?
児童館で出会ったエイスケくんみたいに
せっかく丈夫に生まれた子供であっても
後天的に異常をきたす事がある
重金属は特にカラダから排出されにくい。
長期にわたってカラダに影響をきたす。
早くどうにかしなくては、
人が人として生きていくことが出来なくなってしまう!
カラダも、感性も、人間の愛という一番高度な感情の働きも鈍ってしまう!
鈍った頭の中でいつもこの思いがハウリングしていた。
わたしはその時、
必要な情報に恵まれ、のめり込んで学んだ。
生協活動の中で
知らず知らずに口に入れ、肌に触れていたものに
これほどまでに無防備で暮らしていた事に気が付くことが出来た。
怪我の巧妙、
シックハウスの体験を通して
ようやく知る事になった。
それにしても本当に痛い「怪我」だったけれど。