生協活動に日に日にのめり込み

気がつけば同じ志をもった友に囲まれていた。

 

ある日、わたしを生協役員に誘ったAさんから

「無農薬で果物を栽培している農家さんを訪問しよう」

というお誘いを受けた。二人で。

 

果物は甘くて魅惑的な香りと色で皆の食欲をそそる。

人間だけでない、鳥も虫も皆大好きだ。

だから、網をかけ農薬をたっぷりかけなくては

人間だけの無傷な果実に栽培することは難しいのだ。

 

果物の無農薬はチャレンジングな農業なのだそうだ。

その農家さんはAさんの昔なじみの友人の知り合いだった。

 

わたしは農家さんを訪ねたい欲求はそこまでなかった。

だが、彼女のアツい思いに、断る理由もなく、そのお誘いを受けた。

 

Aさんの真っ黄色い車の助士席に乗って

田舎道をひたすらドライブして農家さんにたどり着いた。

 

農家さんのMさんは日焼けした真っ黒い顔に

深いシワが刻まれた、少し頑固そうなおじいさんだった

 

果物の他にお米も野菜も無農薬でつくっているそうで、

こういった

「人間が、全部たべようと欲張ってはだめなんだ。

鳥や動物たちにも分けてあげなくては。

でもな、俺が畑に行くと、

スズメが何十匹って米食べてて、

あいつきたな!って目で見るんだ!」

 

すごい動物の勘の持ち主だった。

人間と動物との共存、真っ向真剣勝負。ズルい手は使わない。

これが彼のポリシーだった。

 

帰り道、彼女は帰り道と逆の畑の奥の方に車を走らせ、

細い農道の脇道に車を止めた。

まだ温かい日の差す昼過ぎだった。

 

車のサイドブレーキを引くと

一瞬、空白のような静けさになった

 

彼女は意を決したように

息を呑んで、

真剣な顔でこちらをむいて

「あの、打ち明けたいことがあるのだけど、」と言った

 

わたしは彼女の口からどんな言葉がでてくるのか皆目わからなかった

 

続けて

「あたし…、クリスチャンなの」

彼女は必死な思いでこのことをわたしに伝えようとしてくれていたのだ。

 

黙っていることが息ができないくらい苦しくて、

どうしていいか解らなかったようだ。

 

彼女がクリスチャンであることが

なぜそこまで彼女に深刻な思いを抱かせていたのかはわからない。

 

だが、わたしはその告白に全く驚かなかった。

 

子供たちがキリスト教保育の幼稚園にお世話になった。

 

わたしの人生を救ったのはイエスの言葉だった。

 

(その盲人の目は)「神の愛が現れるためである」

 

そして、人間として生きたイエスに非常に興味を持っていた

 

肉体をもった人間である苦しみ、悲哀を知ってこそ、

人を救えたのではなかろうか?

 

お腹が空き、眠さを覚え、愛の喜びと渇きを知り、

自身の運命を知り、苦しみ、裏切りと背信と罵りの中で、

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)

とさけび息を引き取った人物。

 

その人間としての孤独と自分の運命を受け入れ、神と人に身を捧げた。

人間として生きたからこそ、

私達に多くのことを心に届けることが出来たのではないだろうか?

 

よく聖書のことは解らなかったが、そう感じていた。

 

生協役員のAさんとの出会いはどうやら神の計らいで…

今から思えば、

わたし自身の「人生のいのち綱」をつなげてくれた人物であった。

 

決死の告白をしてくれたAさんは

わたしが驚きもせず「ああ、そうなの。」といっただけだったけれど

とても安心したようだった。

 

お黄色いAさんの車は、

農家さんのちょっと酸っぱいぶどうを載せ、

稲穂の金色に色づいた田舎道を軽やかに通り過ぎていった。