しばしの平和な日が続いたある日の夕方
一本の電話がなった
取ると
慌てたような声で
「〇〇生協の△△と申します!あの、生協の役員なんですけどしてもらえませんか?」
突如、寝耳に水の要請に目の前がクラっと揺れたような気がした。
「あのう、無理です、〇〇生協に入ったばかりで…」
未だ生協に加入して3ヶ月少々経ったばかりだった。
〇〇生協に加入した経緯は
実は新居に入居して4ヶ月にシックハウスを発症し、
それ以来、化学薬品、農薬、などに感作するようになってしまい、
無添加、無農薬の食べ物を探すために何軒もの店をはしごし、
食べ物難民をしていた。
そんなとき、小学校の授業参観があり、
その後、親子給食の時間が持たれた。
初めて他のお母さんの普段着の姿を見て一瞬目が止まった。
黒と白のしましまのニットを着た
ひとつに髪を結わえた後ろ姿のきれいなお母さん
その人が竹取の翁の竹のように光って見えたのだ。
わたしは給食を食べ終わると
すぐにそのお母さんに声をかけた
振り向いたそのお母さんは地味目できれいな人だった
「あの、〇〇生協していませんか?」
とっさに出た言葉はこれだった。
そんな情報はどこにも転がっていない
しかし、彼女には〇〇生協がぴったりに見えたのだ。
「ええ、はい。どうしましたか?」
そんな経緯で〇〇生協に加入することが出来た。
当時〇〇生協は一番食品の安全度が高く、厳選されていると聞いていた。
これで買い物難民も少しは楽になる、と言った算段だ。
しかし、近くで宅配をしている人たちを探さなくてはならなかった
ピンポイントで話しかけたしましまニットのお母さん、、すごいビンゴであった!
まだ、当県では200人ちょっとしか組合員がいなかったのだから。。
そんな経緯で加入して3ヶ月で役員の要請がかかったのだ。
まだ、シックハウスの影響で
農薬の少しでも使った野菜を食べると途端に体がだるくなり
目がよく見えなくなって、孫悟空の輪のように頭を締め付ける痛みが走った。
毎日がサバイバル。
肝臓も心臓も腎臓も弱りはて、育児が精一杯だった。
体の事情を話したが、一時間も電話で〇〇生協の役員の説得が続いた
イヤはや、わたしも根負けした。
なんせもうとっくにお夕飯の時間を過ぎていたから。
そんなわけで〇〇生協の役員という大きな役目を頂いた。
神様は、必要なものにはすぐアクセスできるよう仕向け
人生に必要な出会いを必ずもたらしてくださるものだ。
そんな素晴らしい配慮を天が与えてくれてるとはつゆ知らず、
憂鬱な気分で「役員」を引き受けていた。