わたしは
心のなかで大切に育ててきた「仔牛」を屠る。


イエスは

自身を麦の穂に喩え
この世をさらなくては
多くの実を結ばないといった。


みいちゃんという仔牛は

多くの人の感謝の祈りとともに
自分の命を他者に差し出した
一時であろうとも
その家庭を命をもって支えた。


イエスは
激しい罵倒と嘲りの中で
その身を多くの罪を背負って
天に捧げた。


何も悪くない
罪なのない存在が
多くの人の身心の飢えを慰めるために
心から差し出した命。


わたし達はこうして
何の対価を払わないままに
無自覚に日々を送っている


無数のみいちゃんという動物のいのちを
無数のみいちゃんという植物のいのちを頂きながら…


「献身」


わたしは「家族」のおもいでに
「献身」という荷札をつけて
天に差し出そうと思う


わがものではありません
それは借りもの


天からおかりした命の集合体

 

その日々は「僥倖」、

 

与えられたのは「経験」そのもの。

 

差し出すことは「死」

 

そこから始まる「再生」。