I先生の施術の行われるF邸は

木々の美しい日本庭園があり

そこに集う人は、あのとき高級ホテルで待っていた人たちと違って

どこか朗らかに見え

この場所に集う人たちのコミュニティーができていた。

F邸の主人、F婦人は夫に先立たれ一人暮らしをしているようだった。

たくさんの花が供えられている大きなお仏壇には

優しく微笑みかけている初老の男性の写真が飾られている。

 

いつも、施術の日は晴天で輝くばかりの太陽が

部屋の中まで明るく照らしている

 

20~ 30分程で名前が呼ばれ、中待合5分ほどで施術が行われる

 

息子は順番が来ると自分から、さっと布団に寝転がり

体をピンと伸ばし、先生の施術に臨むようになった。

 

わたしは内心、複雑な思いが胸にうずいた

先生には、「良い親のように」

直してほしいと言っているにも関わらず

 

かつてこの子の存在を

「いなくなってほしい」と心中で叫び

泣きわめいてめちゃくちゃに叩いて泣き崩れた自分がいて。

心で対立する

 

「直してほしい」と「いなくなって欲しい」…

未だにこの思いが対立している自分がいた。

本当にこの子が大切なのか?

この子を愛していると言い切れない自分がいた

 

子どもよりもその前に、

「わたしを助けて」という自分がいる

 

自分が楽になりたくて

「この子を何とかして欲しい」と言っているような気がした

 

毎回、施術のたびに嫌な思いに苛まれ

 

子どもを学校に戻し、

ひとりになるとその重圧に耐えられなくなった。

 

わたしはこの子を心から愛せない。

 

正直、目の前からいなくなってくれればどんなに楽だろうと

思っている自分がいた。

 

そんな自分が情けなかった。

 

「こんな自分でいいのか?いや、良いわけない。」

そう思うと、胸の一部分ががキリキリと痛んだ。

 

…自分はなんのために生きているんだろう?

 

毎日、すり減るように暮らして

家族にエネルギーを注いでいるにも関わらす

指にあいだからすり抜けていくような

砂のような愛情…

 

少し潤いがあって

ふんわりとしていて、温かいぬくもりがあるもの、

それが家族間の愛ではなかろうか?

 

わたしの喉はいつもカラカラと乾き、潤いの水を欲していた。