…私は悪者を追いかけて

退治しなくてはならなかった。

 

それらを見逃してはならなかった

 

私はその悪者を追い詰めて銃で撃とうとした

 

しかし、その悪者は

一瞬、具合の悪そうなポーズをしたのだ

 

わたしの心はグラついた

「かわいそうに」と思ってしまったのだ。

 

そしてその場を見逃してしまった

 

すると、彼らは邪悪な笑いとともに

こちらに銃口を見せ、

逆に狙撃してきたのだ

 

「しまった!」

「余計な情をかけるべきではなかった!」

 

彼らと死闘をしながら階段を登っていく間に

津波のような黒い大水が押し寄せて

何かを流していった

 

後ろを見ると敵はいなかった…

 

そんな夢を見た。

夢から覚めた直後

「ああ、いつものわたしのパターンを見た」と思った

 

いつも繰り返される失敗。

 

相手を「かわいそう」と

都合のいいように捉え

事実を見ないようにすること

そして、本当にしなくてはならないことを

行わない口実にしてしまうこと

 

一言で言えば、

必要である時は悪者覚悟で嫌な役目を

果たさなくてはならないということ

 

自分のすべきことは

自分がよく知っていて

それをすべきだということ

 

逃げるために都合のよい口上をつくらないこと。

 

それは人間関係に置いて

多分、ほとんどに当てはまると思う。

 

子育てに於いて

何故か、

わたしは子どもたちを「かわいそう」と

見ていた

障害のことを「つらい」とおもい、

そして、そんな自分が「かわいそうだ」とおもっていた

 

それを

家に近寄らない夫のせいだと思っていた。

事実、確かに夫はそうだったけれども

 

夫と子ども、それとこれとは別問題で

夫のせいで不幸でも、かわいそうでもなかったのだ

 

そのように心に映し出していたのは自分で

夫への不満が子どもたちへ投影されていたに過ぎない

 

夫との関係、子供との関係二重の重荷はあったかもしれない

 

ちょ番のように、わたしは疲弊していたのだが、

この不幸をもたらしたのは夫だと思い、夫を憎んだのだ。

 

自分のイメージで創り上げた世界にハマって

身動きが取れない状態だった

 

本当は一番の味方であるべき相手だったのだが

一番気を許す人には

一番甘えて

自分と同じ価値観を強要し

失望し

関係を悪化させてしまうのかもしれない

 

もしも、当時のわたしに言える事があるならば

 

壊れちゃったと思うくらい、羽目を外していいんだよ…。

ってことかな?

 

それができたらどれだけ楽だったろうか。

 

今、ようやくその意味がわかってきた。

心の中てようやく

そのステージの

卒業の時がやってきたのかのしれない。

 

夢で見た悪者はわたし自身であり

「かわいそう」と自分を装い

自分自身の装った姿を始末ぜずに見逃してきたのだ。

 

もう、自分を装ったりしない、そんな自分を見逃したりしない。