その夏は、長女と長男、次男を連れて

度々、地元の小児眼科の女医さんのところに通った。

 

そのたびに

検査をし、意見書を書いて盲学校の先生に情報を送る。

 

そんな作業をしてくださっていたようだ。

 

盲学校で月一回の訪問時に

しきりに面白がってフムフムと頷き、

その度に先生の目から見た「発見」を

コンパクトなキーボードで打ち込んでいた。

 

なんと

それらの作業は膨大なデータとなって

彼らの研究になり、

学会の論文発表に載せられ

「○児」として息子は

弱視教育の先生方には知られた存在になっていたそうだ。

 

そのことを初めて、この眼科医の女医さんから知った。

 

自分の知らないところで

どれだけ、息子に特別な情熱を注いでもらっていたことか…

 

盲学校に訪問し先生と面談をするたびに

並々ならぬ想いが自然に伝わってきた

 

心のどこかで、

投げやりになってしまいたい、

この子を諦めてしまいたいと

思う気持ちが湧き起こるが

先生方の存在が

心をまた元の軌道にそっと戻してくれた。

 

周りの人がこれほどに頑張ってくれているのだから

諦めるわけにはいかないし…

 

あと一歩、あと一歩、目の前の地面を踏みしめる。

 

プリントのように繰り返される「同じような毎日」も

 

様々な動きが私達の周りでは進行していた

 

まるで

 

シャボン玉が膜がくるくると模様を変えながら飛ぶように

 

「変化」をまといながら空(くう)を舞っていたのだった。

 

時には、微風に運ばれ

 

時には、突風にもみ飛ばされ

 

時には、無風と思われるときも。