その小児眼科医の開業する眼科は

地元でも有名な名家であって、

人望の厚い名医の医院であった。

 

私がはじめて眼科にかかったのも

その医院で

医院の門をくぐったところから

凛とした空気が漂い

知識と見識の高そうな

老医師が診察をしてくれたことを

今でもはっきり覚えている。

 

その眼科医は今では代替わりをして

次の世代が引き継いでいた。

 

私は何十年ぶりにその医院を息子とともに

訪ねる事になった

 

6歳の長男の手をギュッと握り

4歳の次男を抱えて

医院の「お庭」の門をくぐった

 

庭の中央には四角い池と噴水が

向かって右手には昔ながらのすべり台が

庭の中央まで来て振り向くと

昔にはなかった

ちんちん電車の車体が置かれていた

 

思わず電車に引っ張られそうな気持ちを抑えて

昭和レトロの医院の玄関を入り受付をした

「視力検査の予約のものです」

 

午後は視力の弱い子どもたちのために

特別な検査技師が検査に当たる体制を整えていた

 

アトロピン、眼の散瞳薬を垂らし

何やら暗い部屋に入っていった

おかしな箱の中を覗いたり

遠くの光る掲示板を見せたり

オレンジや赤、緑や黄緑、青緑色の粒で描かれた絵を

見せたり、

大きさの違うCの字がいっぱい書かれた紙や

いろんな大きさのちょうちょなどの

黒いシルエットの描かれた紙などを

見せて質問して答えさせたりしていた

 

検査にしては

不似合いなにぎやかな会話がひっきりなしに聞こえ

私は妙な気持ちで待っていた

 

40分くらいしてから息子が検査技師さんと

楽しそうに満足そうな顔をして出てきた。

 

「では、次は先生の診察の時間ですので、

待合室でお待ち下さい」

「しばらくは、眼がぼやけているので気をつけてくださいね」

と技師さんは言った。

 

古びた柱時計がかかる

うすくらい待合室。

いつの時代に設置されたかわからない

つるつると座面の皮が光った木製の椅子

そんな中で数十分待った。

 

「〇〇さん」

 

ギーっとドアがあき、

体つきのいい看護師さんが呼んだ。

 

診察台に長男を座らせ

私は用意された椅子、中年の女性の先生の前に座った。

 

私がなにか言おうとおもったその時、

息子の口から

「こんな古い家、早く壊したほうが良いんじゃないですか?」

 

「・・・・・・」私の目は点になった

 

目の前の女性医師は一瞬「キッ」とした目になり

 

「お母さん、眼より先にお子さんのしつけをしたほうが良いんじゃないんですか?」

 

「・・・・・・」言葉がなかった。

 

いつもは全く噛み合わない会話しかできないクセに

なんでこんなときに、言わんでもいいことを言うんだ

しかも、図星を。

 

このとき、視力のことよりも

この言葉の方が印象に残っている

 

鉄器でガーンと殴られたくらい

頭が重くなって

胃のあたりがモヤモヤして

肩が一気に重くなった。

 

本人はそんなことを言って

怒られたことすら感じない様子で

空の一点をみて頭をフリフリしていた

 

「どうせ、あんたは何も感じないんだよね

まるで、サンドバックみたいだ、私。」

 

惨めな心が私の心を覆った。

 

しぼんだ心で医師の説明を一心にきいたところによれば

 

この子の視力は画層数が極めて低い写真みたいで

はっきり見えていないこと

色がはっきり見えていないらしいので

また検査をすることが告げられた。

 

「はい」

「わかりました。また、よろしくおねがいします」

 

まるでロボットのような

感情のない当たり前の文句が口から流れおちた。

 

支払いを済ませ、庭に出た。

 

最初にみ見た庭の電車は

もは私の心を踊らせなかった

ちょっと灰色がかって古ボケた車体…

 

最初には気が付かなかった

台座のコンクリートが苔と泥がついているのが見えた。

 

子どもたちは私の手を振りほどき

電車に駆け寄っていく後姿が思い出される。