もう年の暮
一人の正月を迎える。
いつものお正月のように
一日がかりでおせち料理をつくった
義母と暮らす長男のところに送ろうか…
なんて湯船で思っていた。
湯けむりが
ゆらゆらゆれて浴槽のフチを舞い上がっていく
寂しいと感じるのは
楽しい時間を知ってしまったから
あれほど辛く寂しいいと思っていたあの生活の中に
「楽しい」があったはず
おせち料理を今年もつくってしまうのは
きっとみんなで同じものを食べている時
嬉しかったからだ。
会話がなくても
同じものを「味わった」のだ。
食事をする意味
それはそれほどに尊いものであったということが
失って2年してはっきりと感じられた
私は湯船の中で声を上げて泣いた。
誰も飛んでこない。
「どうした?」なんて
不思議がる人もないけれど
安心して泣いていた。
そう、癒やす時間が必要だった
長い間、
泣いてはいけないと
心の糸をピンと張って
「頑なに」「張って」いた糸を緩めるために
何があっても
家族の中では泣いていけないと
くじけてはいけないと
「もう、頑張らなくていいよ」
あの時、聞こえた声の意味がわかった
人生最悪と思った瞬間に
喜びとともに聞こえた声…
あれは天使の声だった。
あれからこの春で2年が経とうとしている。
神の思い切りビップな計らいのもとに今があるように思えてきた。