ゴタゴタの入居の後

長男の人生を変える出来事があった

 

まだ幼稚園が移転をする前の、3月学年末のことだった。

いつものように幼稚園にお迎えに行き

彼を車に乗せた。

ミニバンの後ろの座席で

「ばいりん ばいりん」という声がした

「バイリン??」わたしは後ろを振り向いた。

確かに彼の口から、また、

「ばいりん」と声が出ていきた。

「あんた、バイリン知ってんの??」

思わず声が出た

長男はまた

「ばいりん」

「ばいりん」

と言っていた。

 

彼が生まれるずっと前から

わたしの子供のうち誰かがバイオリンをする

という心の声が聞こえていた。

もしかすると本当にバイオリンのことを言っているのかもしれない。

 

長男がテレビを見てバイオリンを知っている

確率はとても低かった。

しかも見てそれをバイオリンとおぼえることが

できたのだろうか?それも謎だ。

しかし彼はその言葉に何かを感じとっているのだ。

 

偶々、わたしはその足で

当時通っていたコーヒー屋さんをたづねた

なんとなく新しく入ったお店の人に聞いてみた

「あの、バイオリンを習いたいのですが

いい人知りませんか?」

その人はパッと顔を明るくして

「はい知ってますよ!

わたし通い始めたんです。紹介します」

彼女からその先生の電話番号を教えてもらった。

 

帰宅して電話をかけてみた。

落ち着いた女性の声だった

「…はい、◯日にお待ちしています。

窓に赤いバラが飾ってあります」

 

あまりのとんとん拍子に驚くばかりだった。

 

なんだか良く分からないままに

バイオリンを習うことになった。

 

夫の父は何故かそれはそれは喜んだ。

「ワシがバイオリンを買ってやる。」

そう言って2番目に小さいサイズの

4分の1バイオリンを早速買って

東京から届けにきてくれた。

胃がんの手術後の義父は嘘のように

人がまるくなり

喜びから涙を流す人になっていた。

その日も長男にバイオリンを渡すと

喜びで涙を浮かべていた。

 

彼は本当に「ばいりん」=バイオリン

として認識していたのかは分からない。

 

しかし、初めてのレッスンで

一日3分ポーズをとる。

これを1ヶ月食事後にすることが

宿題になったのだけれど、

不思議に嫌がったことはなかった。

一度もバイオリンを落とすことも。

 

黙ったままバイオリンを肩と顎の間に挟み

ポーズをとることさえ、

彼には困難だったのに。

 

勝手にパカっと口が開き声が出る

するとバイオリンがかたからずり落ちる。

黙って顎と肩に挟むだけでも

彼には忍耐だった。

声を出せないと

膝が勝手にバタバタ動き出す。

先生の言われた足の位置に

身を固めることを繰り返し、

顎からバイオリンが外れて

またハメ直しを繰り返して…

あっという間に30分が過ぎていた。

たった3分のために…

 

そうして彼とバイオリンとわたしの生活がはじまった

 

私と長男以外の家族には

本当に退屈な時間を味わせてしまったのかもしれない。

けれど、彼と人格が壊れそうな私を

この毎日のルーチンが

救ってくれたものであった。

 

そして、そのバイオリンの先生は

退園をした前の幼児園の先生のご主人と

コンサートで共演される仲であったことも

15年後に知ることになった。

 

神はなぜ

ここまで

時間と場所と人を

先の先までご存知で

配置なされたいたのでしょう。

特別な配慮を

一人一人にお与えになって。

 

そんな幼かった彼も

今は21歳

私のそばを2年前に離れ

そしてクリスマスの贈り物をしたが

いまだ連絡もないが、

こうして生かされている。

彼はこんな大きなご意志の中に生きてきたことも

いまだ知らずに。

それが人間なのかもしれないけれど。