自分が脳の機能をおかしくしてみて初めてわかったことがたくさんあった。

 

それは、息子の気持ちだった。

 

何を言っても理解しない。言葉がけとは関係ない行動をする

 

言ってもきかない、聞こえない。関係ない答えをする。

 

すぐに注意がそれてめの前のことを最後まで出来ない。

 

それが自分の姿となった。

 

すっぽり頭にカプセルをかぶったように

 

外界の言葉、状況が、何も響いてこない。

 

自閉症…

 

これが自閉症の症状なんだ…

 

白痴の自分であったけれど、

どこか客観的に分析している自分がいた。

 

長年、自閉傾向の息子を観察していたからこそ

感じられた事かもしれない。

 

メモにはこう書かれている

 

健忘症になって感じたこと

 

記憶としてて定着しない=物忘れ

感情が(新たな)発生しづらい→無感動化、情動障害

情報が定着しないので、判断力がなくなる、時間の感覚もない

 

情報と情報のつながり→記憶と記憶のつながり→感情→思考→判断

 

一言でいうと、情報がうまく処理できない。

 

学習障害、言っても聞かない、自己中心的、情動障害

 

 多動児の気持ち ひろくんのきもち

 

 おもいやり 人間のもっとも高度な精神活動

 

 

 

周りの情報を処理しきれずにパニックなっている自分がいることを自覚していた。

 

只々、状況に対応しきれない恐怖感が襲ってくる。

 

ご飯を炊いても

次に何をしたらいいのかわからない

次、次、、、、、しゃもじをもつんだ!

しゃもじ、しゃもじ、、、、しゃもじって何?

しゃもじを持つ頃には

なんのために台所に立っているのかもわからなくなる。

 

わからない自分に恐怖を覚え

台所で途方に暮れた。

 

学校に送り出さなくては…

 

弁当がつくれない…

 

まったく、アイディア以前の問題だった。

 

おまけに時間がかかってしまう…

 

幼稚園のマイクロバスの時間に遅れてしまう。

 

たくさんの人に迷惑をかけ怒らせてしまった。

 

 

「情けない」 一言。

 

だが

 

なんで、どうしてを説明する事もできない。

 

一人恐怖で自宅に籠もりうずくまっていた。

 

薬は確かに効いていた

体は軽くなり

動きが取れるようになってきた

 

脳の情報処理の機能は確かに回復してきたが

 

心の奥底の、「思いやり」の感情だけは回復が感じられなかった。

 

相当に高度な脳の機能なんだと思った。

 

 

いつでも心は灰色のままだった。

 

数年経って

 

生命の危機を脱しつつも、

 

人間として一番尊い機能である「相手を思いやる心」は

 

なかなか回復しなかった。

 

障害児が「自分勝手な行動」を取る理由もよくわかる気がした。

 

私はおとなだから、今までの行動パターンを行うことによって

 

情動が麻痺していることを隠して生活することが出来た。

 

ただ、日常生活が砂を食べているような

 

ジャリジャリとして、感触の悪い不快な感情を抱えたまま、

 

生活せざるを得なかった。

 

子供と楽しいい時間、共有する愉しさ、心地よさ、ぬくもり…

 

それらは感じられず、

 

子供との時間をゴミ掃除のように吐き捨てるように過ごしていた。

 

悲しいかな。もう戻らないその時間。

 

しかし、このことを経験したことはなにかの意味がある。

 

そう、感じていたのだ。

 

決して、このままで済ますわけはいかない。

 

絶対ただでは置かない。

 

そう、胸の中で決めていた。