2021年、12月

私は怒っている。

なぜ、あのような思いをしなけでばならなかったのか 

 

あの時、死なずに生き延びた私が

今生きている意味とは

 

この言葉を伝えなくては

この世に存在してる意味がない

 

人生の一番大きな祝福である行事、

新居への入居が

不幸な結果を持たらすことがあっていいのか。

 

その人の人生を大きく狂わせていいのだろうか

 

微量な毒物であっても毎日体に取り込んで言い訳がない。

 

毒物の排出が追いつかなくなると

化学物質は脳神経を錯乱させる

 

内分泌系を混乱させるのだ

 

小さな子どもたち

お母さんのお腹にいる赤ちゃん

家にすっといるお母さんやお年寄り

彼らが

日常の当たり前に感じられていた

物事を感じ取る豊かな感覚が奪われていく

 

人々が不機嫌な灰色の感覚の中に

溶け込んで無個性になっていく…

 

そんな現実を体験したのだ

 

私は家の中をもがいて生活していた

 

見えない敵は特定できたが

 

戦うすべを知らなかった

 

世間とは感覚が乖離して

外界が恐怖に感じられた

 

自分の行動が信じられない

外界のことがわからない

 

日々のその思いは

ついに習慣になり

人格にまでなってしまう

 

世を恐れる臆病な性格になるのだ。

 

新居に入居する前、

アパート生活での

苦しみも、悲しみも、嬉しさも、愉しさも

今目の前に起こっていることを

心が敏感に感じていたときのことを懐かしく思う

そして自分の心は自分でしっかり把握していた。

 

人が「心」を奪われて言い訳がない

 

ましてやその影響によって

子々孫々にまで翻弄されて言い訳がない

家族が壊れて言い訳がない

生まれてくる赤ちゃんに障害として現れて言い訳がない

 

生命そのものと社会が壊れて言い訳がない

 

あれから16年が経ったいま、

初めて社会に向けて発信している。

 

ようやく。

 

世の中の多くの存在しなくてよかった

苦しみや病気や、人間関係の破綻があったはずだ。

どれだけ、多くの人が

その原因を知らずに

我が事として悩み続けてきたことだろう。

そして、そこで多くの命が

直接的、間接的に奪われてきたことだろうか。

 

この言葉を多くの犠牲になった命の霊に捧ぐ、

 

このような過ちを人類が犯さない社会が実現するように

日々日常の幸せが守られますように

 

私は強く祈り続ける。