後の出来事を知っていたかのように

その出会いが予め用意されていたように思うことがある。

 

それは、引っ越す2年前くらいの出来事だった。

 

長男を幼児園に預け、

次男を児童館へ連れて行っていた頃のことである。

 

当時次男は1歳半くらい、

そこで出会った「エイスケくん」は1歳ちょっと。

かわいい笑顔のおとこのこだった

そのお母さんは少し線の細い控えめで清楚な方だった。

 

なんとなく知り合いになり、会うと必ず立ち話をするようになった

 

あるときからパッタリと「エイスケくん」親子を

児童館で見かけなくなった

 

どうしたんだろう…

 

彼女たちを見かけなくなって4ヶ月くらい経った頃

エイスケくん親子を見つけ、声をかけた。

 

今までのおおらかで落ち着きのあったお母さんの表情は、

なにかに怯えたような、緊張したような雰囲気に変わっていた。

 

「あのう…ちょっといいですか?」

彼女は思い切って告白するように私に言った

「私おかしいんです」

「エイスケも」

 

「…」

 

「私カーテンを引かなくてはいられなくなって」

「窓を閉め切りで昼間もカーテンを引いているんです」

「暗くないと眩しくていられないんです」

 

「エイスケも前はおとなしくていい子だったんですけど、

今は多動になってしまって…」

 

「それが、アパートの真ん前に〇〇社の家が建ってからなんです」

「窓を開けると床下の空気がはいってきて、そうなっちゃったんです」

 

私にはしばらく理解できなかった。

何が彼女たちに起きているのか?

 

空気が入ってきて”眩しくていられない”

 

???!

 

とにかく

全く想像ができない世界だった。

 

しかし彼女の切実な訴えは私の心にしっかりと刻み込まれた。

 

そして、彼女がその”病気”を診てもらっているのが

同市内の「O医院」だとうことを聞いた。

 

私は、5月7日から5月28日まで、

換気のみでどのような変化が起こるのか

自身の様子を観察し

換気による、碓かな良い”兆し”を感じた

そして、体調が改善すると、

今まで何が”おかしかったのか”自覚できた。

 

私は空気による体調への影響を確信した

 

その時、2年前の「エイスケくん」親子のエピソードを思い出し

直感で、その医師に訪ねてみるべきだと判断した。

 

その医師に受診するに当って

引っ越してから当時までの

家族と自分の様子を紙に図にまとめて

朦朧とする意識の中

開いている感覚を全開にして

書き綴った。

 

この思いを決して忘れ去られてはいけない

この時を過ぎたら

忘れてしまう

今書かなくては

 

このことを残しておかなくては…

 

そんな意志が働いていたと思う

 

 

私はこの紙を持って「O医院」訪ねた。

 

まさにこの出会いは完全に的を突いていた

 

普通には当たるはずのない的に当っていたのである。

 

全国にこの症状を見る医師は数人しか居ず、

 

しかも、同市内、車で15分の距離だった。

 

 

しかし、「エイスケくん」のお母さんは

なぜ、思いつめた表情でなぜ私に”そのこと”を打ち明けてくれたのだろうか?

 

「エイスケくん」親子に出会わなかったら

私は死の淵をずっと歩み続けていたのかもしれない。

いや、

決して出口の見えない闇に絶望して

死の淵の向こうへ落ちていたかもしれない。

 

神は予め全てを知っていたかのように

幸運の出会いと

不幸な出会いを用意し

 

諦めないで歩めるように

下準備をなさって

この危険な旅路を歩まされたのか…

 

この私に死の淵をも準備されても

帰ってくると信じておられたのだろうか?

 

しかしそれほどまでに

 

何かを望まれていたのだろうか?

 

それとも、この私が…?

 

人生は奇遇に満ちている。

 

いや、必然に満ちているのかもしれない。