車椅子の設計士との別れ際
頼むときは次に契約書と契約金を持ってきてくださいと言われた。
夫は彼のことが気に入ったようだった
ひとつクリア。
さて、どうしようか?
悪い感じがしない夫婦だったけれど
実はなに者かもわからなかった。
しかし、自宅の雰囲気は悪くはなかった。
実に凝った工作の様に繊細につくられていた
また、
彼自身、からだの不自由さを知っている
”目が悪い人の気持ちも汲んでくれるのではなかろうか?”
頭で散々考えた。
そして、もう一つ私の心にささやく言葉があった。
「はやく、自分の家がほしい」
”欲望”の心に動かされていた。
心の自制を振り払い、
欲望が「目の悪い子どものため」の大義の裏で
主導権を握った。
「土地をこのまま遊ばせておくのも勿体ないし…」
「奥さんもいい人そうだし…」
たくさんの理由を後出して
「そうするべき」正当性を心の中で装った。
夫に相談し、
再び設計士を訪ねた
お金をもって。
彼はとても機嫌よかった。
契約書に少々癖のあるマル字で
必要事項を書き込んでいった。
大体建築費をこれくらいと見積もった額の
10%が設計費用だ。
契約書に設計費一時金として、金○00000円
と書くところだったが、
手が震えて何度も書き直していた。
その横顔は笑いを噛み潰したように見え
あまりにも嬉しすぎて手がぶれてしまった
と私には見て取れた。
また一抹の不安がよぎった
果たして…
彼は契約締結からすぐに旅行に出て
船に乗り一ヶ月は不在になるという。
「その船旅で設計図を描きましょう」と
すでに船に乗ってゆうゆうと仕事をしているような
目をしていた。
私と夫は、車を買う時以来の大金を
人に支払い少々興奮冷めらやらず帰途についた。
さて、これで憧れの我が家が建つのだ!
(この苦しい暮らしに終わりが来るのだ!)
久しぶり味わう高揚感に浸っていた
私は見なくてはならないことに蓋をしたまま…
心に忍び寄る「甘い言葉」に自分の選択の意思を手渡してしまった。