連日のように韓国では、ES細胞騒動の話題で持ちきりだ。

それだけ期待が大きく、それだけ失望も大きいからだ。

天主教のキム・スファン枢機卿も今回の事件に関して胸を痛められ

涙を流された。


2004年の時点で論文は認められ、大きなバックアップを受け、

地位を与えられ、名誉を与えられた黄教授が何故捏造をしなければ

ならなかったのか?捏造発覚後の事を考えなかったのか?

得るもの以上に、失う代価があまりに大きい。


様々憶測が飛び交うが、その事実は本人にしかわからない。

また、その立場に立った者が感じる内容があるので、私たちが

あれこれ推測するのはあくまで推測に過ぎない。


しかし、この事件で考えなくてはならないことは、

韓国人だからどうか、日本人ならどうだという問題ではなく、

人間としてどうあるべきか、どう生きるべきか

ということではないだろうか。


今回の事件に限らず、人の批判をするのは容易であるが、

批判で終わるのではなく、今回の事件を通して次の大きな一歩を

踏み出して欲しい。


韓国に限らず、科学者に限らず、自分の与えられた環境で、

自分の任された役割を自分の良心に従って、

他人に危害を加えず、社会の一員としての自覚を持って

果たしてゆくなら、問題は起きないだろう。


欲望は人間の成長には必要である。だが、欲望の所在が

どこにあるのかが問題だ。


クリスマスイヴの今日、ケーキを食べて終わるのではなく、

イエス様が何故、この地上にこられたのか?

宗教の枠を超えて、深く考えてみたい。