何度も何度も頭に刷り込む。




新しい概念。




そうしないと、世の中の概念に引きづられちゃう。





例えば、これからの世の中は、
戦隊モノの
レッド、ブルー、イエロー、グリーン、ピンク、

5人が5人ともそれぞれ主人公の世の中になる。



すると、自分は、
ブルーなのだ!
ピンクなのだ!


という、自分の確固たる自覚が必要。





ところが、



今までの概念


人は、レッドであるべき。
という概念。



すると、実はイエローなのに、実はグリーンなのに


頑張ってレッドになろうとする。




世の中には、偽物のレッドばかり。



レッドになれない人や、


頑張ってレッドであろうとする人は、



本物のレッドをみて、



何で自分は、レッドになれないのかと



悩み、苦しみ、



こじらせて、嫉妬したり、足をひっぱったり。






我がレッドだ!



我こそがレッドだ!




レッドでしょ?!



認めてよ!!




なんで、認めてくれないの?



ねぇ、レッドだよね??



世の中で正しいと言われている



レッドだよね??価値あるよね??




偽物レッドは、不安で不安で仕方がない。






何が問題かと言えば。




レッドこそ正しいのだ。




と、いう世の中の概念こそが間違ってるとしたら?





前提ってゆーか、枠自体が間違ってるとしたら?




例えば、




レッドは素晴らしい。



グリーンは素晴らしい。



イエローは素晴らしい。



ブルーは素晴らしい。



ピンクは素晴らしい。



という、概念が心底定着したとしたら。




この世の中の常識、ぜーーーんぶ




ひっくりかえると思いませんか?





何が正しいだとか





何が正しくないだとかは、





実は、なくて、




未熟な人間が、勝手に作り上げたルール。




災害のボランティアで、




現地に作業に入る人が素晴らしい。




我も、我も。やらなきゃがんばらなきゃ。




やらないやつはダメだ。




って、なっちゃうと。




ボランティアを支援する人がいません。




物を運ぶ人がいません。




情報を正しくまとめる人がいません。




物資を仕分ける人がいません。




必要な時に、別の場所で動ける人がいません。







ボランティアで作業に入らないなんて人でなし!
と、新たないざこざ。






みんなが、ロミオ
みんなが、ジュリエット




そんな劇は、劇になりません。





1つの概念で圧力をうむのではなく、




それぞれが主役で



それぞれが正しい。



そんな概念が常識になれば、世界は変わると思う。





そして、この主張も正しい正しくないではなくて




1つの概念なのです。