こんにちは~✨

前回、芝大神宮さんで狛犬さんとの楽しい出逢いをしました。
その足で、大門から電車に揺られて向かいましたのは....

「泉岳寺」さんです。

ご本尊様  釈迦如来様
創建          1612年(慶長17年)
徳川家康公が、幼い頃に身を寄せていた今川義元公の菩提を弔うために創建。


実は、前々から行きたいと思っていたお寺さんです。
昔、年末年始にはよく長時間のスペシャルドラマになっていた歴史上、大きな事件。

「忠臣蔵」の、赤穂義士47人(正確には、討ち入りを強く周りから反対されて、討ち入り前に切腹した方の供養墓もあるので、48人)と、討ち入りの事件が起こった要因で、吉良公を切りつけ切腹させられた「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」とその奥さんのお墓があります。

年末年始といえば、私の子供時代に必ずと言っていいほど忠臣蔵は放送されていました。

描く人、監督さん、演出家さんが変われば、ドラマの視点もいろいろ変わります。
美しい舞台のような、感動と涙の忠臣蔵があれば、人間臭く描かれた人の感情を全面に出した忠臣蔵もありました。

どんな視点で描こうが、この討ち入り事件にはたくさんの怒り、悲しみ、武士の思い、それを理解しながらも最愛の家族や友人が命をかける姿を、ただ見つめるしかなかった人々の苦しみが詰まっていて。

ただ、一途に慕う人の為の敵討ち。
決して人殺しは良いことではないのですが。
この時代の武士は、本当になんというか純粋で。こんな時代じゃなければ、違ういい方法があったはずなんですが。

その一途さ、人を慕う強い想いにただ手を合わせたいと、そう思っていました。
じつは、少し気を周りに配りながら。
緊張...ではないのですが、そんな気持ちで駅から歩いて行きました。

山門前に着いた時、すでに何か想像とはちがう爽やかな雰囲気がありました。



とても、穏やかな時間が流れています。
まるで、参拝者を優しく包むような空気です。

私の実家は曹洞宗です。
同じ宗派だからかな?肌に合う感覚です。
なんだか急にリラックスしてきました(*´-`)
ご本尊様の釈迦如来様のご加護が、境内に行き届いている感じです。


大石内蔵助、赤穂義士のリーダー的存在です。
外国の方が、一生懸命写真を撮っていました。

本堂の前に進んでいきます。
山門の外より強く柔らかな結界の中に入ったような感覚になりました。

写真の右手に、寺務所があります。
左へ行くと、赤穂義士の墓所へ向かいます。

参拝者が少なかったのもありますが、落ち着いた雰囲気の中、参拝しました。
境内図です✨

癒されながら、赤穂義士の墓所へ向かいます。




私たちが墓所へ向かって歩いていると、日が差し込んできました✨
こんなにお墓への道が、明るく温かく穏やかに感じたのは初めてかもしれません。

中へ入っての写真は控えました。
ですが.....

とても静かに安らか、赤穂義士の皆さんはここにいらっしゃいました。

中には、リーダーだった大石内蔵助さんの息子さんのお墓もありました。
まだ16歳です。
赤穂義士の年齢は、老若男女だったんですね。

本懐を果たして、みなさん自刃していらっしゃるので、潔い気持ちであったのかと思います。

そして、きっと後々に語り継がれた事で、後世の人々が手を合わせてきたのが、赤穂義士の皆さんが穏やかにそこに鎮まっていらっしゃる要因かなと思いました。

「よくぞ参られた。かたじけない。」

そんな優しく迎えて下さるのが伝わりました。

墓所への道です。

帰りにご朱印を頂くために、寺務所へ行きました。

泉岳寺のパンフレットや、赤穂義士の一人一人について書かれた「義士銘々博」という小冊子も購入出来ます✨

私たちの前にお一人いらっしゃいました。
順番を待っていると、その方はご朱印やお守りの授与ではなく、何かをお寺に差し上げたくていらしていました。
手作りらしき何か。対応しているのはかなり若いお坊さんでした。

この若いお坊さんは、とても丁寧に受け答えされ、にこやかにお話されていて。
ありがたく、その手作りらしきものを受け取っていました。
とても優しいお坊さんに、心がホッコリしました。地元の方に慕われていらっしゃるんですね(*^-^*)

ご朱印も、書いたら一度手を合わせて祈って下さってから、渡して下さいました。
(この日は、たまたま忙しくなかったのでここまでしてくださったかもしれません。)

ありがたいです!
そして、この若いお坊さんの純粋な優しさが伝わりました。
こんなお寺だからこそ、赤穂義士も安心して鎮まって下さっているのかもしれません✨

温かい泉岳寺参拝でした✨