前回、大まかに神について説明したが、今回は実際に私が神をどの様に考えているか、少々述べてみようと思う。
前回のコメントで述べたが、現在のパレスチナ問題等、同一の神を崇めている国々同士が争っているのは歴史上仕方の無い原因が有るのだが、これには宗教も深く関与していると言わざるを得ない。
もし、このヤハウェと呼ばれる神(イスラム教ではアラー)が存在するなら、どうして何もしないのか?
それが人間に与える試練なのだろうか?
嘗ての聖書等の伝承では、神はちゃんと自分を慕う(自分の命令に従う)者をその奇跡の様な力で守護したりしてきた。現在の世界でそう言った奇跡が起こらないのは神等存在しないからか、それとも神が現在の人間は神と言う存在を利用するだけで信じてなどいないと理解しているからだろうか?
神が存在しないなら奇跡等起きないし、神が己という存在を利用している人間に愛想を尽かしているなら奇跡はやはり起きない。当然と言える。
取り敢えず流れでこの様に述べたが、実は私の考えは少し違う。
私は神かもしれない何かは在るかもしれないと思っている。それは現在より遥かに進んだ文明や技術、知識を持つ宇宙人の様な存在かもしれないし、未来の知識を偶々有した人間かもしれない。また人間が認識出来る3次元より高次元の存在かもしれない。
良く有るヒロイックストーリーだが、異世界に召喚された主人公は世界の救世主となる。これは異世界の文化や知識を持ち込む事が可能だからだろう。現在の人間が過去の世界に行ったならその知識だけでも凄い奇跡を起こせるだろう。火を起こす事さえ困難な時代にライターが有ればまさに奇跡と言える。
また過去に高度な文明を築いた人類が滅びる際にコールドスリープ等によって後の世で復活したならその人物はまた神と言える。宇宙人という存在も同様と言える。現在の科学では過去にタイムトラベルする事は難しいとされる為、この様にも考えてみた。(尚、我々地球人が存在する以上、他の星に知的生命体が存在すると考えるのが自然である。)
これらの存在であれば、私達人間と同じ感情を持っているので、当然慕ってくる人間にはその知識を活かし豊かな暮らしを提供してあげたいと思うだろうし、反感を持つ者には手を貸さないのも当たり前と言えるだろう。また人間同士なら神話と同様子を成す事も可能。
そして現在神がいないと感じるのは至極簡単。現在の人間の文明が発達しており、凡そ不可能がなくなったからだ。火を起こすのもモノを冷やす事も空を飛ぶ事さえ可能である。
結局、現在の科学で解明出来ない事や現在の技術では不可能な事を行わない限り神にはなれないという事だ。
さて、高次元の存在と言うのは、もっと漠然とした考え方である。
私達が虫籠で虫を飼っていたとする。虫にとっての世界は虫籠の中だけである。私達はその虫を虫籠の外から観察しているという訳だ。
虫籠を地球(現世)に、虫を人間に置き換えてみると、虫籠を観察していた人間は、神の様な存在になるのではないだろうか?
虫にとって人間が世界の外の存在で在る様に、神もまた高次元の存在で人間が知覚出来ないのは当然である。人間が虫に対して特別何もしない様に、神もまた特別人間に何もしない。そして虫が私達に対しどの様な感情を抱いていたとしても(即ち信仰していても反感を持っていても)その想いが伝わる事は無い。別に試練を与える訳でなんでもなく興味の範疇外なのだ。
偶に気まぐれで餌を与えたりすると、虫にとっては突然食料が湧いた様な奇跡である。虫籠を激しく動かしたら、虫にとっては地震の様な災害が発生したと思うかもしれない。人間を観察出来る様な立場の者が存在したとして、その者は人間には何もしてくれないと言う事である。何かの奇跡は唯の気まぐれでしかない。「プロビデンスの目」はその様な神の視点の再現としても的を得ていると思える。
同様に虫籠の中の虫にとっては、その飼い主こそが神である。餌を全く与えず死滅させる事も自由。私が神かもしれない存在を否定出来ないのは、世界の見方に依っては自分自身も神と言えるからだ。
これが私の心の中の神である。人に依って様々な考え方が在る様に様々な神の在り方が在るのだろう。
霊魂等と同様、実際には存在しない神の像。その心を以て、私達は神と言う存在を生み出している。
私はこの様な考えの為、神に祈りを捧げる事も無いし、私に都合の良い奇跡が起こるとも思っていない。しかし心の拠り所としても良いと思う。自分ではどうしようもない時、神に縋って心が救われるなら、それは優しい嘘なのだ。神を信じる事、奇跡を信じる事で得た諦めない想い、その想いの力で成し得た結果こそが内なる神の奇跡の正体ではないかと思う。
先に述べたパレスチナ問題も、神に頼らず我々人間が解決するしかない。神は心の支えでしかないのだから。
前回のコメントで述べたが、現在のパレスチナ問題等、同一の神を崇めている国々同士が争っているのは歴史上仕方の無い原因が有るのだが、これには宗教も深く関与していると言わざるを得ない。
もし、このヤハウェと呼ばれる神(イスラム教ではアラー)が存在するなら、どうして何もしないのか?
それが人間に与える試練なのだろうか?
嘗ての聖書等の伝承では、神はちゃんと自分を慕う(自分の命令に従う)者をその奇跡の様な力で守護したりしてきた。現在の世界でそう言った奇跡が起こらないのは神等存在しないからか、それとも神が現在の人間は神と言う存在を利用するだけで信じてなどいないと理解しているからだろうか?
神が存在しないなら奇跡等起きないし、神が己という存在を利用している人間に愛想を尽かしているなら奇跡はやはり起きない。当然と言える。
取り敢えず流れでこの様に述べたが、実は私の考えは少し違う。
私は神かもしれない何かは在るかもしれないと思っている。それは現在より遥かに進んだ文明や技術、知識を持つ宇宙人の様な存在かもしれないし、未来の知識を偶々有した人間かもしれない。また人間が認識出来る3次元より高次元の存在かもしれない。
良く有るヒロイックストーリーだが、異世界に召喚された主人公は世界の救世主となる。これは異世界の文化や知識を持ち込む事が可能だからだろう。現在の人間が過去の世界に行ったならその知識だけでも凄い奇跡を起こせるだろう。火を起こす事さえ困難な時代にライターが有ればまさに奇跡と言える。
また過去に高度な文明を築いた人類が滅びる際にコールドスリープ等によって後の世で復活したならその人物はまた神と言える。宇宙人という存在も同様と言える。現在の科学では過去にタイムトラベルする事は難しいとされる為、この様にも考えてみた。(尚、我々地球人が存在する以上、他の星に知的生命体が存在すると考えるのが自然である。)
これらの存在であれば、私達人間と同じ感情を持っているので、当然慕ってくる人間にはその知識を活かし豊かな暮らしを提供してあげたいと思うだろうし、反感を持つ者には手を貸さないのも当たり前と言えるだろう。また人間同士なら神話と同様子を成す事も可能。
そして現在神がいないと感じるのは至極簡単。現在の人間の文明が発達しており、凡そ不可能がなくなったからだ。火を起こすのもモノを冷やす事も空を飛ぶ事さえ可能である。
結局、現在の科学で解明出来ない事や現在の技術では不可能な事を行わない限り神にはなれないという事だ。
さて、高次元の存在と言うのは、もっと漠然とした考え方である。
私達が虫籠で虫を飼っていたとする。虫にとっての世界は虫籠の中だけである。私達はその虫を虫籠の外から観察しているという訳だ。
虫籠を地球(現世)に、虫を人間に置き換えてみると、虫籠を観察していた人間は、神の様な存在になるのではないだろうか?
虫にとって人間が世界の外の存在で在る様に、神もまた高次元の存在で人間が知覚出来ないのは当然である。人間が虫に対して特別何もしない様に、神もまた特別人間に何もしない。そして虫が私達に対しどの様な感情を抱いていたとしても(即ち信仰していても反感を持っていても)その想いが伝わる事は無い。別に試練を与える訳でなんでもなく興味の範疇外なのだ。
偶に気まぐれで餌を与えたりすると、虫にとっては突然食料が湧いた様な奇跡である。虫籠を激しく動かしたら、虫にとっては地震の様な災害が発生したと思うかもしれない。人間を観察出来る様な立場の者が存在したとして、その者は人間には何もしてくれないと言う事である。何かの奇跡は唯の気まぐれでしかない。「プロビデンスの目」はその様な神の視点の再現としても的を得ていると思える。
同様に虫籠の中の虫にとっては、その飼い主こそが神である。餌を全く与えず死滅させる事も自由。私が神かもしれない存在を否定出来ないのは、世界の見方に依っては自分自身も神と言えるからだ。
これが私の心の中の神である。人に依って様々な考え方が在る様に様々な神の在り方が在るのだろう。
霊魂等と同様、実際には存在しない神の像。その心を以て、私達は神と言う存在を生み出している。
私はこの様な考えの為、神に祈りを捧げる事も無いし、私に都合の良い奇跡が起こるとも思っていない。しかし心の拠り所としても良いと思う。自分ではどうしようもない時、神に縋って心が救われるなら、それは優しい嘘なのだ。神を信じる事、奇跡を信じる事で得た諦めない想い、その想いの力で成し得た結果こそが内なる神の奇跡の正体ではないかと思う。
先に述べたパレスチナ問題も、神に頼らず我々人間が解決するしかない。神は心の支えでしかないのだから。