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「本2(その1~その4)」、「本4(その1~その3)」の投稿に続いて、再び「大人の科学マガジン」を購入した。
「本2」の投稿の様に時計が付録なので購入を決めた。今回はVol.28、「二挺天符式和時計」である。(画像1)

今回の付録でもある江戸時代に時を刻んだ「和時計」と呼ばれる時計には大きな特徴が有る。
昔の日本は1日を24等分する定時法では無く、1日を昼夜に分けてそれぞれを6等分するという不定時法を採用していた。
これは、日本独特のアイデア(勿論似た様な暦を採用した国は有るが。)であり、また、農耕を主とした生活を送る上では非常に重要な役割をになっていた。
即ち、日本独自の暮らしのリズムである不定時法に対応した時刻表示を可能にした時計が和時計なのである。

その後、明治時代になり暦が旧暦より新暦に変わり、太陰暦が太陽暦となった。併せて時刻も定時法を採用する事となりこの和時計は意味を失っていく。

そうした歴史を持つ和時計だが、そのメカニズムは非常に面白い。
天符、つまりテンプが1つしか無い定時法の時計が西洋より伝来し、それを日本の不定時法の生活に対応する為に、昼夜に合わせて切り替わる二挺のテンプを採用したモノが、今回の付録でもある和時計の基本の二挺天符式和時計である。
二十四節気の夏至と冬至は御存知だろう。日本では最も昼と夜が長い日である。その中間で昼夜当分の春分・秋分も有名だ。
つまり昼夜の長さは1年を通して最大夏至から冬至まで変動するのだが、和時計は月に2回、正確には二十四節気にテンプを調整し、不定時法に対応させていた。

そして、それぞれ6等分された昼夜時間は「十二支」の「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」で刻で示される。これを辰刻と言う。真夜中は子となり、順に進むので真昼が午となる。
太陽が南中する「正午」は、この辰刻の「午の正刻」が語源とされる。

他に、時鐘と言う刻を告げる鐘の音から、
真晝(真昼)九つ、晝(昼)八つ、夕七つ、暮六つ、宵五つ、夜四つ
真夜九つ、夜八つ、暁七つ、明六つ、朝五つ、晝四つ
と表現される事も多い。

私の好きな「おやつ」もこの晝八つから来ている。尚、おやつの投稿については「おやつ(1~15)」を参照して頂きたい。

さて、和時計の中でも最高峰と言われるモノが、万年時計とも称される「万歳自鳴鐘」であろう。江戸時代に田中久重によって発明された、現在で言うグランドコンプリケーションである。
「愛・地球博」においてこの時計のレプリカが展示された。(画像2)
約200日間も動き続け、洋時計(通常の時計)、和時計、デイデイト、ムーンフェイズ、天球儀(太陽と月の軌跡表示)、二十四節気表示、十干十二支表示(今回は割愛させて頂くが、甲乙丙といった「十干」と子丑寅の「十二支」を組み合わせた60日周期の表示)、そして時鐘(打鐘)機能を有する。
現在で言えば、パーペチュアルカレンダー(グレゴリオ暦ではないので「閏」が処理されているかは不明だが。)の天文時計にソヌリが付いていると言える。
また、外装にも非常に手が掛かっており、七宝や彫金、蒔絵や螺鈿といった伝統工芸の美しい装飾が見事である。
時計史に残る傑作のひとつと言って間違いないだろう。

まだまだ細かい注釈が必要だが、以上を大まかな和時計の時刻表示についての説明とさせて頂こう。

そして、次回から二挺天符式和時計を江戸の暮らしに想いを馳せつつ、組み立てていこうと思う。